近代日本と記憶

一束の古い手紙に話を戻す。もしもあのとき私の目に止まらなかったら、あの手紙たちというよりあの記憶たちはどこに消えたのだろう。たくさんの古い衣類や本同様の運命をたどったに違いない。つまり引越し以来何回も車で通った、隣町との境界近くにあるあの「クリーンセンター」で焼却されていたはずだ。バッパさんは、都会から来るなりボロ家に溜まっていたボロを連日のように捨てに行く息子の動向に気が気ではない。まだ使える物も捨てに行ってるんでねーべか。
 その気持ち分からないでもない。でも大型テレビ五台はいくらなんでも溜め過ぎだ。テレビはセンターに持っていけない。テレビ、エアコン、洗濯機、冷蔵庫は業者にお金を払って処分してもらわなければならない。五台処分するのに、二万五千円もかかってしまった。それはともかく、あの手紙たちは(中に恥ずかしい内容のものがあるにしろ) 良くぞ私の目に止まってくれた。考えてみれば大抵の日本の家庭でも同じようなことが起こっているはずだ。つまり大袈裟に言えば膨大な量の記憶の焼却であり喪失である。我が家でも借家から借家へと引っ越すたびに、いわゆる「思い出の品」が惜しまれつつ処分されてきた。持ち家になったらなったで、今度は子供たちが都会へ都会へと流出していき、都会のそれら小さな所帯に「思い出の品」はまさに「お荷物」となる。
 いやつまらぬ思い出は捨てるに越したことはない。人類が今まで戦争やら災害・疾病、そして民族移動やらでいろんなものを大量に失ってこなかったとしたら、地球上には物があふれ、利害関係が錯綜し、それとともに妬みや憎しみが今より大量に蓄積されていたはずだ。人は適当に忘れることによって辛うじて精神的なバランスを保つことができる。確かボルヘスに、決して忘れることができない男の恐怖を描いた短編があった。
 でも近代日本はあまりにも多くのものを亡失してきた。家屋だけならまだしも、村や町そして嗚呼(!) 自然までも惜しげもなく大量に処分し焼却してきた。永遠の生命とか来世(ついでだが、歳をとるに従って天国などにもともと行く気などなかったことに気づいてきた) が保証されていない以上、さしあたって人は記憶を大切にし、それに頼らなければならないのに。死者たちも私たちが「思う」そのとき、初めて私たちの中に「生きる」のに。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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