思考のアクロバット

 「さんまのからくりテレビ」とかいう番組で、じいさんや変なおじさんが子供たちの質問に答えるというコーナーがある。その変なおじさんはユニークといえばユニークな人で、意味不明の言葉を連発し、テロップに彼の口調を模した不思議な擬音語が流れて、いやでも笑いを誘う。調べるつもりもないけれど、もしかしてあの男大学教員ではないか、と思っている。とたんにいやーな気分に襲われる。意味不明と言ったが、「つまり」とか「まあ言うなれば」といった繋ぎの言葉が次々と繰り出され、もしかして論理的には正しいことを言っているのでは、と思わせる。
 日本だけでなく海外でも有名な或る文化人類学者がいる。卓抜な発想と大胆な論法であらゆる問題を見事に捌いてみせる。彼はあるとき、講演の中でスペイン文学に触れざるをえなくなり、私の友人にその種のことを扱っている本を数冊貸せ、と講演何時間か前に来たそうな。その講演は私も聴いたが、実に器用にスペイン文学のエッセンスを描いてみせた。なるほど、短時間で事の本質を見抜き、それを見栄えよく調理する能力は花形学者には必須の資質なんだろうな、と感心したことがある。「からくりテレビ」の変なおじさんとはもちろん格が違うが、しかし綱渡り、アクロバットであるところは同じだ。
 精力的に文献を渉猟し、軽業師のように思想の蜜を次から次とつまみ食いする能力も、特に学者・研究者にとっては必要な能力であることは間違いない。だから次に言うことは、そうした能力の持ち合わせがない者の、たぶんに僻みととられても仕方がないが、近頃そうしたきらきらと才気走った仕事や文章がだんだん嫌いになってきた。ずしーんと臓腑に響くような思想を味わいたいとますます思うにようになってきた。これ歳のせいかな。
 暑さも峠を越したのだろう。今日あたり時おり吹く風の中に秋の気配が混じり始めた。午後東京に帰る娘を家内と一緒に駅まで送っていった。プラットホームから曇り空をぼんやり眺めているうち、明日からは少し気を引き締めて本を読み始めなければ、と思った。ずしーんと臓腑に響くような思想に出会うために。もしかしてその時の私の姿を見て、娘の帰京に心細くなった初老の男が呆けたように空を見ている、と思う人がいたかも知れないが、それは誤解です(本当かなー。やっぱり寂しくなって、それで無理に自分を叱咤激励してるんじゃないの?)。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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