ようやく明日晴れそうである。梅雨明け宣言はまだ出ないらしいが、ともかく晴れ間が見えるのはいったい何日、いや何週間、いや何ヶ月ぶりだろう。電車通勤の人たちのことを思えば、ましてや今回の宮城県北部の地震被災地の人たちのことを思えば、けっして贅沢は言えないが、それにしても寒く長い梅雨だった。でもカーッと照りつける炎暑は今年は無いのだろうか。昨年の今ごろ、正確に言えば30日、バッパさんが熱中症で緊急入院したっけ。
 まるで化け物。いやバッパさんのことだけど元気げんき。今日も夕食前大バトル。あの人はぜったいに負けない、なぜなら負けることを知らないから。この意味分かるでしょうか。要するに小学生の口げんかみたく、どんなに分が悪くても必ず屁理屈が出てくるということです。話の発端は……足腰が弱くなってきたから、二階で寝ることはやめ、一階の奥座敷(?)にベッドを入れて(姉が誕生祝に買ってくれるはず)、夜は小さい方はポータブルにするように説得したのだが、土壇場でポータブルは部屋の中に入れたくない、縁側に囲いを作ってそこでやるから、と言う。今までだって二階では夜間ポータブルを使っていたのに、消臭剤をケチッて使わないものだから臭いが部屋にこもる。しかし鼻が悪いからそれが分からない。それなのに、下では室内でポータブルを使いたくない、と言う。ポータブルは室内で使うためのもの。縁側に囲いを作ってそこに置きたいと言う。あゝ分かんね、あの人の言うこと。縁側の囲いの中で便器にまたがっているバッパさんの姿想像できますか。あーやんだやんだ、おらやんだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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