バッパさんの新しい居室の南側の網戸の網が破れていたのを、午後、暑い最中に張り替える。最初、枠自体がなかなか外せず、少し壊し気味に取り外したので、どうなることかと思ったけれど、結果的にはうまくいった。我ながら根気強いと思う。だいぶ前になるが、やはり熱い最中、八王子の家の裏手に、藪蚊に襲われながら、一人で物置を組み立てたことがある。薄い鉄板なので、一人だとすぐぐにゃりと曲がってしまう。それを絶対にあきらめないで、数時間かけてとうとう完成させた。私たちの後に入った家族が今でも重宝しているはずだ。
 途中あゝ駄目だ、と思う瞬間がある。しかししつこくしつこくやっていくうちに、いつのまにかうまくいっている。人生もこのようにいけばいいのだが。
 ところでこの暑さで(今日東北地方も梅雨明けということで)どうにかなってしまったのか、ミルクとココアが今日一日、ずっと外にいて、どうしても家の中に入ってこない。今(夜の10時20分)も外でにゃーにゃーココアが鳴いているので、下の出入り口に水と餌を置いてきたが、どうしても入ってこない。懐中電灯で下を照らすと、新棟の濡れ縁に二人してかたまっている。どうしたんだー。外猫の習性がまだ取れないのだろうか。冬の間はあんなに家の中でゆったりしていたのに。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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