今日もあまり天気が良くないが、天気の回復を待っていたら何も出来ないので、昼前、娘を乗せて三人で、先日お蕎麦が美味しかった六号線沿いの「十割そば」に行く。裏手には掘割が見え、明るい店内も従業員も感じがいい。美子と娘は穴子丼とざる蕎麦のセット、私はざる蕎麦セット(おいなりさんが三つつく)。ところが穴子が大きくてうまいと娘が大興奮。感極まってここの勘定はまかせろ、というので気が変わらないうちに礼を言う。とにかくこの娘、まるでオヤジみたいなところがあり、東京の勤め先でも重宝がられているようだ。
 その後、すぐ前にある百尺観音に挨拶しないわけにもいくまい。今日は他に誰も見物人なし。ついで同じく六号線沿いにある「道の駅」に寄る。つまり鉄道の駅ではなく道の駅…なんだ同じことか。ともかくその町々の特産品などを販売している休憩所みたいなところ。
 六号線を戻るのはつまらないので、先日同様、海岸寄りにほぼ平行して走っている道を戻る。そして今日はぜひ寄ろうと思っていた「桜井古墳」を探す。途中コンビニに止まっていた清掃車のおじさんに道を聞くと、実に嬉しそうに、かつ丁寧に教えてくれる。車に乗ろうとしたら、また別のおじさんが追いかけてきて、さらに丁寧に繰り返し教えてくれる。町の正式の職員ではなく、おそらくシルバーなんとかという高齢者の臨時の仕事と思うが、偉いなあ、と感心する。歳をとってからの仕事としてはちょっときついが、でも楽しそうに働いている。
 さて訪れた古墳公園は掃除も行き届いていて、これなら今度弁当持参で半日遊べるところである。5世紀前半のもので、全長72メートル、東北第二の規模の古墳とか。この町には他にも装飾横穴古墳とか、武家屋敷とか、国の重要文化財などがあるらしく、少しずつ楽しみに訪ねてみよう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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