目隠し

朝八時半から、昨日の二人にもう一人加わって、シルバー人材センター派遣のおじさんたちが仕事を開始。新しい一人は、この道の専門家らしく、実に手際よく仕事を片付けていく。あっという間に、西側のヒバの木十数本が切り倒され、隣家との間にピクニックが出来そうな明るい空き地が出現。さらに南側の会計事務所とのあいだの垣根の、相手側にはみ出した潅木の枝を切り払ってくれた。そのとき、その会計事務所から出てきた女が、無礼なことを言ったが喧嘩はしないことにした。といって、きっちりその非礼は注意したが。
 いずれにせよ今のままではフェンスを越えて繁茂することは避けられないので、お盆明けにでも、ともかく潅木類は切り払って、会計事務所の出入りの際にこちらが見えないための目隠しを作ってもらうことにした。入り口が二階のため、出入りする人が階段を下りて来る際、新棟の方の居間が丸見えになってしまうのだ。こちらだけが目隠しの心配をするというのは、考えてみればちょっと癪だが、つまり向こうさんだって出入りがつねに見張られているようで気持ち悪いはずだが、いろいろと話し合うのも面倒だから、こちらだけの処置でなんとか見えないようにしよう。
 それにしても文字通り国境問題は人間世界にはつき物だが、避けて通るわけにもいかず、なかなか厄介なものだ。
 午後、思い立って、いつもの墓参りツアーを実施。公園墓地から旧国道を通って大田和の安藤家の墓地、次ぎは六号線を北上して相馬市の佐々木家の墓地、と三箇所を一挙にお参りし、帰り道、鹿島の松月堂というお菓子屋に回って、「まいたけおこわ」などを買って、夕刻の足の長い日差しの、あのなんともいえない懐かしい光の中を帰ってきた。
 ばっぱさんも行きたかったようだが、昨年の熱中症のことを思い出させてあきらめさせた。本音を言えば、道中かならず勃発するはずの口喧嘩で事故を起こすのが怖いからである。なにせ今日も、作業をしている一人のおじさんのところへ、切れない枝切り鋏をもってきて、これを使ったらなどととんでもないことを抜かすのだ。相手はプロなんだから、道具のことでとやかく言うのは絶対止めるようにと注意しても、こちらの姿が見えなくなるとさっそくまた、これを使ったら、などとしつこく言う始末。一事が万事、本当に腹立たしい確信犯なのだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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