いけずうずうしい!

今回の邦人三人の人質事件について自らの責任を問われ、小泉は「私自身の問題ではない。国全体のイラク復興支援にどうかかわるかの問題だ」と答えたという。国の最高責任者にあるまじき、なんと恥ずかしい、なんといけずうずうしい答えであろう。イラク復興のために何がいちばん必要か、何がいちばん効果的か、についての議論・検討を早々に打ち切って、というよりもともとそんな気もなく、ただただ馬鹿ブッシュの尻馬に乗っかったのに、そのことの責任を一切省みないとんでもない答えなのだ。そんな首相の言葉を、いともやすやすと見逃しているこの国の言論界の底の浅さにうんざりしている。
 脅しがあったから撤退というのは、確かにみっともない。しかし、人質解放になんの糸口も見つけられないまま、いたずらに「テロに屈しない」と言い続けるよりも、犯人グループに対して、むしろ怒りを込めた強力なメッセージを送るべきではないか。つまり今回の自衛隊イラク派遣が、現時点では不適切であったことを率直に認め、近い将来、全面的な撤退を視野に入れながらイラク復興を根本から考え直すつもりであること。しかしこれは決してお前たちの脅しに屈しての決断ではなく、イラク人民の幸福のために一身をかえりみず頑張ってきた三人の尊い命を何としても救いたいための苦渋の決断であり、万が一お前たちがこの真の聖戦士を傷つけたり殺めたりしたときには、日本ならびに日本人民はお前たちをいかなる手段を使ってまでも地球の果てまで追い詰め、お前たちの犯罪を全世界の善意の人たちの法廷で徹底的に裁くことをここに誓うものである。
 小泉ならびに彼に同調する者たちよ、人質三人が自分の息子・娘であったらどうするか、その視点を最後の最後まで忘れずに決断しろよ。一夜にして白髪になるぐらいの土壇場にあることを忘れるな。国の最高責任者になるということは、そのくらい厳しい責務であることをゆめ忘れるでない。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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