文明ヤフー種の矯正

「話しは『日録』にもどりますが、僕もこの頃、とくに日本人は戦前とすこしもかわっていない、おそろしい集団だな、と思い知らされています。〈らち〉事件のときもそうですが、その精神は戦後の〈民主化〉などでかわるほど甘いものではないですね。かって中国革命の進行を見つめながら、パールバックの『大地』の世界はついに変革されたのか、と思ったことがありますが、文化革命はならず、というのが真実のように思えてきます。スウィフトではないが、自分もふくめてヤフー種、とりわけ文明ヤフー種の矯正は、時間のかかる大仕事なんだ、といいきかせつつ仕事に励むしかありません。」

最近数日間のわが「日録」をプリントして送ったことへの石原保徳さんからのお返事の中の文章である。『世界史への道(ヨーロッパ的世界史像再考)』(丸善ライブラリー、一九九九年)で、従来の歴史観そのものの根底からの見直しを迫った石原さんは、その見直しを新たな視点から再度試みた労作がついに完成、いよいよ出版という段階になって、長年石原さんを支え励ましてきた編集者が病に倒れた。それを機に社内事情からか出版そのものが怪しくなってきたので、石原さんは預けていた原稿を引き取った。石原さん自身、かつて大出版社の編集者であったから、なおさらそのまま原稿を預けておくことを潔しとしなかったのであろう。でも幸い別の出版社が出版を引き受けてくれそうなので、彼のため本当に嬉しい。
 スウィフトの『ガリヴァ旅行記』が今度の作品の中で重要な位置を占めることは、時おりのお便りで知っていたが、私自身、子供向けのガリヴァの、それも本も読まないままでの怪しげなガリヴァ像しか持ち合わせがない。それこそこれを機に『ガリヴァ旅行記』を読んでみなければなるまい。ところでヤフーは第四編「フウイヌム国渡航記」に出てくる、人間と寸分たがわぬ肉体を持った下劣かつ醜悪な生き物。スウィフトの人間社会に対するペシミズムが作り出した存在らしい。
 ご自身も数年前、前立腺癌の手術を受けて、その再発を薬で抑えながらの、研究と執筆の日々、彼のことを考えると、ガツンと頭をどやしつけられたような感じを受け、そして同時に言い様の無い、突き上げてくるような励ましを受けるのである。インターネットのヤフーを世界平和のための従順な家来にすべく、自らを叱咤激励しながら、私なりに頑張らなくては。

『大航海者たちの世紀』、評論社、二〇〇五年。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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