地方都市の文化行政

話の途中で、あゝ切れるな、などと他人事のように自分を観察するもう一人の自分がいた。案の定、風向きがふと変わるように、職員室に呼び出された生徒と教師のようなそれまでの位置関係が逆転した。たぶん四十代のその職員は、この百戦錬磨の退職教師の前ではしょせん若造である。年齢を笠に着るつもりは毛頭無かったし、細かいところでいちいち世直しするつもりもなかったが、人間関係にはとかく弾みというものがある。
 フォルクローレの練習会場を借りに「文化センター」を訪ねたとき、同じ建物の五階にある生涯教育課など訪ねるつもりはなかった。ただ施設管理のセクションの係員に、市の芸術文化協会に登録すれば施設使用料が無料になるから、相談してみては、と言われ、背に腹はかえられぬ、とつい寄ってみる気になったのである。求められてフォルクローレ・サークルの母体であるメディオス・クラブがどういうクラブかを説明するうち、これはちょっと違うぞ、と思いだしたのである。つまり「査定」され、それに合格すれば「認定」してやる、といった雰囲気に気づき、とつぜん馬鹿らしくなってきたのだ
 もともと市の文化行政などそんなものなんだろう。無定形のものから地方文化を「育てる」という意識はさらさら無く、書式や形式にかなったものだけを「認可」してやろう、というわけである。そんなことなら芸術文化協会などといっさい関わるつもりはないから、と憤然と席を立って廊下に出たら、課長さんがちょっとそこでお話を伺いたい、と廊下の隅の椅子まで案内する。これはいい機会だから、と言いたいことを率直に言わせてもらった。すると、別に芸術文化協会の傘下に入らなくとも、簡単な申請書を出してもらえれば、施設使用料の減免が可能だから、と一枚の用紙が渡された。(初めから言ってくれよー)。それでは近日中に提出しましょう、と受け取って帰ってきた。
 家に着いて見てみると、恐れていた通りの書式になっていた。つまり申請書の受け取り先(市教育委員会)がすでに「様」という敬称を自らに冠しているのだ。いまだに公的機関に限らず民間団体でさえこの無意識の横柄さを自らに許している。印刷された「様」に横線を引いて手書きの「様」を書き加えるか、それともそんな相手とはとうぶん関わりあわないようにしようか、いまちょっと迷っている。


【息子追記】その後、南相馬市の少なくとも市長宛の申請書の類には、返信の宛先の市長の名前の横に「様」はつかなくなった(笑)。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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