コッカのヒンカク

従軍慰安婦問題や沖縄戦での軍による集団自決強制のことなどで、またぞろ自称愛国者たちの醜い抗弁が賑やかだ。昨夜もたけしの番組に出た元大使かの言い草にも「国家のヒンカク」という言葉が出てきて、いやーな気分になった。過去の過誤を率直に謝罪し反省することにこそ品格がにじみ出てくるはずなのに、こういうヤカラは、そうした過誤が無かった、あるいは加害の数字が挙げられたものより下回るということを持ち出して、結局はその過誤の存在そのものを曖昧にしたり無かったもののように強弁しようする。意地汚いったらありゃしない
 オレがこう言うからといって、オレはテメーたちが予想するようなヒコクミンなんかじゃねえぜ。いつも言うようだけど、テメーたちよりコチトラの方がはるかに愛国者。アベなんとかという性格はよさそうだがA級戦犯の背後霊がつきまとってる首相以下、時おり確信犯よろしくチョロっと問題発言をする側近たちはいったい何考えてるんだろう。
 いやマジメなんだろうな。このごろはさっぱり表には出てこないけど、例の教科書造りの親玉も、どこかのパーチーで話を交わしたことがあるけど、なにかおどおどして、というかいつも反論できるように構えているというか、どっしりと落ち着いたところが微塵も無い。これはまったくの憶測に過ぎないが、このかつてのエリートたちは何度もイジメに遭ってきたのではないかな。つまりサヨクとかゼンガクレンとかのイジメに。自分の愛してやまぬハハなるクニが乱暴狼藉に遭ってることが耐えられないのかもしれない。
 そういう意味では同情の余地もないではない、という気にもなりそうだが、しかし許せないのは、被害を受けた側のことなどまったく考えてもみないその傲慢というか厚顔無恥というか、まっこと手前勝手な論理である。彼らの言う「ウツクシイクニ」は、聖書の言う(といって、今の私には聖書を持ち出す資格もないし、持ち出したくもないのだが、人類の知恵袋としてちょっと癪だが便利である)「シロクヌリタルハカ」に過ぎない。
 こうした問題を考えると健康によろしくないからこの辺でやめるが、最後に一つだけ。自称愛国者たちが言うには、両方のケースとも、事実を裏付ける正式文書が残されていない、とか。ザケンジャナイ、戦時下において命令文書の有無などまったく意味をなさないのは火を見るより明らか。つまり命令文書など不要なほどのものすごい強制力が働いていたことなど、ちょっと想像力を働かせば分かりそうなものなのに


【息子後記】立野正裕先生(明大名誉教授、英米文学・西洋文化史)からいただいたお言葉を以下に転載する(2021年3月2日)

問題の要点はとっくに言い尽くされているという気がしますね。まったく同感のほかありません。

真面目にものを考えるほどの人ならば、先生の言われることの骨子こそがまっとうな理性の発露と分かりますが、そこへさらにいちゃもんをつけようという手合いもいるでしょう。初めから対話を重ねることには興味も能力も持たない連中と、ながながだらだら付き合うのはまったくもって時間の浪費です。なんとか大使も赴任中は恥をかいていただけでしょう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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