旧に倍する元気さ

書くことに窮したらばっぱさん、ということで、今日はその後のばっぱさんの話をする。
 昨年12月、夜間転倒のあと貧血気味が続いたので、主治医の勧めもあって18日にW病院に入院、かなり長期にわたって点滴のみの入院生活が続いたが、年を越えての15日、結局貧血の原因は分からぬまま、ともあれ無事退院の運びとなった。
 歩行は相変わらずおぼつかないが、それでも入院時とは比較にならないほど回復してきた。ただ時おりふらつきも残っており、数日前にはまた夜間、トイレに行こうとして転倒、どこにぶつけたのか後頭部から出血した。翌朝連絡をうけて駆けつけたが、長さ4、5センチくらいの傷口からの出血はすでに止まっており、痛くも痒くもないと本人は至って元気。転んで出血した後、あわてて駆けつけてくれた係りの人に、血を拭き終わるまで外で待っててもらったなど、自慢気に話すので、そんなときは係りの人の助けを求めること、いやそれよりせっかくベッド脇にベルを置いてもらっているのだから、夜間のトイレは絶対に係りの人の誘導にまかせるように言った。
 知人のお母さんは、その同じW病院入院中、やはり夜間、トイレに行こうとして転倒、それでも助けを求めず自力でベッドに戻ったが、そのときの怪我が原因で亡くなられたそうだ。気丈な老人の危ない点であろう。ばっぱさんのこの二度目の転倒は病院でのCTスキャンでもまったく異常が認められず、結果オーライだったが、本人がこれを僥倖と考えて以後注意するかどうか。ばっぱさんの場合、その望みは薄い。なにせこれまで、自転車で車と衝突して、その自転車を身代わりに命拾いしたなど、数々の武勇伝の持ち主だからだ。
 昨日も、訪ねてみるとなにやら係りの人にイベント話を持ちかけている。係りの人が席をはずした隙にばっぱさんを諌める。
「なんだべーまたぞろ仕切り魔にもどったんでねえの。まるで牢名主だど。足元おぼつかねえのに、あっちさ行くべ、こっちさ行くべなんて持ちかけんな。まずはゆっくり廊下で歩行練習だど」
「家の中さばかりいると、つまんね」
「それは分かるけんちょも、みんながみんな外さ出たいわけでねええんだど。こないだも小僧寿しや道の駅に連れてってもらったばかりだべ」
 そうは言っても、日本全国、行かなかった県は三つほどのこのばっぱさん。旧に復するどころか、旧に倍する元気さである、体はともかく気だけは。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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