博物館協議会で

先日話題にした El espectador の訳語だが、フリアン・マリアスのオルテガ論(Las trayectorias)を見ていたら、あっけないほど簡単に正解が分かった。つまりオルテガは自分の個人誌の名前を、1711年にイギリスの J. アディソンと R. スティールが創刊した評論・随筆新聞 The Spectator からとったということ。とすると適切な訳語としては、「目撃者」あたりになる。事故や事件の目撃者という意味らしいから、すこしかっこうをつけて「時代の証人」とも訳せよう。しかしアディソンの新聞がわが国の英文学史ではあえて訳されずに「スペクテーター」となっているように、「エスペクタドール」としようか。マタドール(闘牛士)くらいには認知されるかも知れない。
 認知で思いだしたが(?)、今日の午後、市の博物館協議会に妻と出席してきた。一時間半ほどの会議中、妻は私設秘書よろしく、私の隣りに神妙に座っていてくれたので助かった。昨年度事業報告、本年度事業計画と議事は粛々と進んでいく。暖かな午後の日差しが会議室の中にも伸びてきて、ときおり気合を入れないと眠ってしまいそうだ。それで議長に質問か意見を求められ(いやこちらから手を上げて)学識経験者として(えっほんまに?)こう話し出した。

「いや意見というほどのものではないのですが、先ほどからの種々のご報告のように、博物館業務のみならず学としての博物学は研究や発掘そして保管という、私にはとても真似できない地味な作業から成り立っているのですが、でもその学芸員にしろ外からの見学者にしろ、刻々と変化する現代に生きているのであります。たとえば保全すべき郷土の自然にしろ、あるいは相馬中村藩の近世武士社会の歴史にしろ、生きている私たちの問題意識や興味と無縁なものであってはならないのではないでしょうか。たとえば郷土の守るべき自然にしても、現在世界規模で問題化している深刻な環境破壊と密接に関連しているわけですし、相馬藩の歴史にしても、丹下左膳が相馬藩士であったことや、志賀直哉の祖父直道が、あの相馬事件に直接からんだ家令であったことなど、つまり虚構の世界や暗黒史の部分とも関わりあう、あるいは直視する視点というものも必要ではないでしょうか。以前、申し上げたことですが、市の若い職員たちが自分の職場を越え、縦割りの組織をまたいで、さまざまな職種や分野の人たちとの意見交換や交流をはかり、その中で、自分たちの町の文化が活性化する方途を創り出してもらいたい、そうこの老人は考えるのであります」

 帰り道、施設のばっぱさんを訪ねる。ばっぱさんの部屋にも、まだ暖かな陽光が差し込んでいた。
 「さっきまで博物館の会議さ出てきたところだ」
 「んっ、会議だって、なにか話したのか?」
 そのとき悟ったちゅうか、血の濃さを思い知ったんだわさ、このばっぱさんもほんの最近まで、各種の会合で、今日の午後の私みたいに大層なご意見を吐いてきたということを。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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