H君のこと

H君などと匿名にする理由なぞない。君である。つい君呼ばわりにしたが、彼ももうかなりの歳だろう。それまで、つまり私が原町に帰ってくるまで、ばっぱさんの友人であった。自分の口から言うのもなんだが、私の帰還を心待ちにしていたようである。彼の愛してやまない原町のために、なにか手助けしてくれるのでは、と期待していたのかも知れない。
ところが私の方は、新しい環境に順応するのに精一杯で、彼の期待に応えるそぶりも見せなかった。落胆させたと思う。そのうち彼の健康状態が思わしくなくなり、次第に疎遠になっていった。彼のホームページが無くなり、気楽にコンタクトをとる機会も無く今日に至った。住所も、多分メールアドレスも、知っているのだから、連絡を取ろうと思えば取れるはずだ。万が一、二つともに応答が無かったとしても、この町には彼の実家もあり友人もいるのだから、消息は簡単にたどることができるに違いない。
 そんな友人知人が、彼以外にもいっぱいいる。スペインにいるM神父、シスターG、非常に魅力的で哲学的なホームページを運営し、メールやネット上で実に深く鋭い知性を感じさせた「えにしだ」さん…
 なぜ積極的に消息を探ろうとしないのか。自分でもちょっと説明のしようがない。あえてこちらからアクションを起こさずに、自然の流れに任せた方がいいのではないか、あるいは過ぎ去った空白の時間の中で、何かが変質して、もはやかつてのような豊かな交流はできないのではないかとの恐れ。いや正直に言えば、たんに自分の頭の上のハエを追い払うのに精一杯だったからではないか。
 H君の話に戻ろう。いま彼の書いた何冊かのシリーズ、あるいはなどを見ながら思うのは、私がいつか「メディオス・クラブ」などを通じてやりたいと思っていることのかなりの部分を、すでに彼が手がけていることだ。彼には私などまったく持ち合わせのないジャーナリスト的感覚がふんだんに備わっており、それはたとえばなどにいかんなく発揮されている。また一つの町の歴史を、小さな映画館の80年間の上映映画を丹念に記録することによって、同時にこの町の、さらには時代の浮き沈みを浮き彫りにしてくれている。
 いずれにせよ、いま一度彼の仕事をじっくりたどってみよう。そうこうしているうちに、彼からまた連絡が入るかもしれない。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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