「新訳」の対極にある訳業

昨夜は風呂に入って日頃の疲れが出たのか、確か3時にセットした目覚ましにまったく気づかず、ふと眼が覚めたときは5時近くだった。頼みの綱ならぬ紐もいつの間にか外れていて、今月一回も無かった厄介ごとにまた巻き込まれてしまった。浴槽の湯がまだ温かかったのが不幸中の幸い。
 朝食後、さすがに我慢できず、籐椅子でしばらく仮眠をとる。眼が覚めたらちょうどばっぱさんを施設に迎えに行く時間、ぐずぐずしている妻を息子夫婦にあずけて施設に。ばっぱさんにすれば、もう一週間近くも楽しみにしていた日だ。いわきから姉と、そして昨日車で千葉からきていた姉の長男の奥さんと娘二人、合計四人がやってくる日なのだ。
 ばっぱさんを家まで連れて帰り、今度は妻と息子の嫁と三人で、まず買い物をし、その足で駅に迎えに出た。めでたく東京の中学に合格したAちゃん、小3になったMちゃんというかわいい曾孫と一緒に食事ができて、ばっぱさん大満足。あっという間に二時になった。三時の電車で帰る四人と施設に帰るばっぱさん、それと妻の六人を乗せ、最初に施設、次いで駅まで。昼食後雷が鳴り雨もぱらついたのに嘘のように晴れ上がっていた。しかし風が強い。ちょっとした風でも電車が止まる常磐線のことが心配だったが、案の定、予定の着時間よりはるかに遅い時間にいわきから電話があり、やはり途中電車が止まったが、富岡駅で用意されたバスには乗らず、ばっぱさんからもらった「お車代」でタクシーを使ったそうだ。
 さて唐突だが、先日話題にしたオルテガの『傍観者』、というよりその訳者の西澤龍生さんについて、この数日来考えてきたことを覚え書きしておく。以前、といっても大昔(昭和50年)、『傍観者』の一部を訳載した『沈黙と隠喩』についての書評で、小生意気(こなまいき)にもつぎのように書いている。

「最後に訳文についてだが、評者自身がオルテガ作品の翻訳をしたことがあって、それこそ《自分のことは棚に上げて》式の手前勝手な言いぐさだが、訳者自身の非常に個性的な文体が、ある場合にはオルテガ散文の難解ではあるが明快な語り口を圧倒し、その微妙な偏差から新しい難解さが生まれている部分無きにしもあらずである。若い世代の読者にその点少々近づきにくいのではないか、というのが評者のぜいたくな危惧あるいは身のほど顧みぬ注文である」(「日本読者新聞」、三月十七日号)。

 それこそ慇懃無礼な言いぐさである。こんなことを書かれながら、西澤氏はいつもにこやかに、紳士的に私を遇しつづけておられる。だから、ではけっしてないが、今ならこう言い換えるであろう。「氏の幅広い教養と深い学識に裏打ちされた訳文とオルテガの文章とのあいだに不思議な共鳴音が発せられて、氏の日本語を通じて浮かび上がるオルテガの思想は、いつの間にかまた格別な広がりと深さを帯びている」。つまり「つるんとした」訳文に比べれば難解と思われる氏の訳文を理解しようとつとめるほどの読者には、一段と魅力的なオルテガに出会うことができるであろう、ということだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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