タフネスと優しさ

先日、いわきから来た姉たち四人との会食のあとに全員で撮った写真を見ながら、ばっぱさんが「なんだべ小使いみたいだした」と言った。後列左端に写っている私を指してのたもうたのである。もちろん褒め言葉ではない。小使い、いまで言う「用務員」だが、ばっぱさんの意識の中では明らかに差別用語であろう。つまり貧乏ったらしい、哀れである、ほどの意味合いで。
 もう二年前に渡してあった亡父、つまりばっぱさんの連れ合い、の追悼文集『熱河に翔けた夢』を、ようやく最近になって読み終わったのはいいが、やわな作りなので背中の糊がとれ、それを昨日持ち帰って、硬い紙で表紙を補強し、さらに布を貼って見事に生まれ変わったものを届けた矢先の、あまりに酷いお言葉。
 「おばあちゃん(心底怒っているので言葉が丁寧になった)、それはないだろう、世の小使いのみなさんには申し訳ないけど、それをひとを貶す意味で使ってるよね。おばあちゃんよ、あなたはいつもそうやってひとの心を傷つけながら、なんとも感じないで生きてきたんよ。あるときも、昔からの知人を指して、あの人はむかし家の奉公人だった、などと言ってはならぬ言葉を使ったよね。
 たしかにおばあちゃんは中国残留孤児の世話をしたり、障害者支援の運動をやってきた。それは他のひとには出来ない立派なことだとは思うよ。かつては新聞にも「福祉の母」なんて見出しで紹介されもしました。でもねそんな場合でも、いつもお大尽(だいじん)が、貧乏人や可愛そうな人を憐れむような、上から目線で見てきたよね。それはねー、福祉の精神からは外れてんだよ…」
 するとばっぱさん、意外にも素直にこう言うではないか。「分かった、悪かった、あやまる。死ぬまでの残された時間、真剣に改めるよう勉めっぺ」
 そうかんたんに謝れると、関係が一転、いや逆転するんだなー。今度はこちらが悪くなっちゃうんだよ。老い先短い95歳の老婆をいじめるどら息子の図になっちゃうんだよなー。
 それに実際に社会を動かしていくのは、こういう口は悪いが実行力のある人たちなのかも知れない。レイモンド・チャンドラーの言う「タフでなければ生きていけない、やさしくなければ生きる資格が無い」の、その両方のバランスの問題かも知れない。やさしいだけではどうにもならない。もしかすると、愛する人さえも助けることができないかも知れない。
 今日は寒いので、帰りは北泉海浜公園にも東ヶ丘公園にも行く気にならず、かといってこのまま帰るのも癪、それで新田川の川べりに行った。30羽ばかりの鴨が川から上がって、小さな公園へとよちよち通りを横切るのを妻としばらく眺めていた。そうだよなー、写真の中の俺は、くたびれたアルパカのセーターを着て、髪の毛はその朝の騒動のまま梳かしもしないぼうぼうの白髪頭で(ばっぱさんは、95にもなるのに髪を真っ黒に染めている)肩をすぼめ…うーん、でもやっぱ「小使い」はないべさ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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