複眼と超越

もちろん主人公の内向的で非社交的性向を指して「社会化されていない自我」と言っているのではない。たとえばドストエフスキーの『地下室の手記』の主人公は、まさに内向的で非社交的性向ゆえに社会との軋轢に翻弄されているが、その彼を描くことで逆に「社会化された自我」の像が鮮明になると言えるからだ。つまり直接社会が、あるいは社会の動きが描写されなくとも、社会に対する主人公のネガティブな意思あるいは憎悪の強さによって、逆に社会という存在が浮き彫りにされるのである。
 ところでものを書くという行為にとって重要なのは、書き手の視点、そして場合によっては主人公の視点である。たとえば日記は、ほとんど書き手の主観的な視点に限られている。分かりやすい言葉で言えば「単眼」である。ところが、報道記事のような場合、視点は「当局」であったり、「当事者」であったり、「目撃者」であったり、書き手である「記者」であったりする。「単眼」に対するに「複眼」である。
 これを先述来の「私小説」の問題に応用すると、狭義の「わたくし小説」の視点は限りなく「単眼」に近く、広義の、というより小林秀雄のいう「社会化された私」の「私小説」は「複眼」であると言えよう。
 さてここまできても、依然として先に問題にした島尾敏雄の小説がいかなる意味で「私小説」を超えたかは未解決のままである。ここらでその問題に決着をつけねばなるまい。それではこう答えよう。島尾敏雄の文学が従来の「わたくし小説」を超えたのは、「私」を社会という他者の眼差しのもとに引き据え鍛えたから、つまりいわば外に向かって「私」を広げたからではなく、むしろ内に向かって「私」を深化させたからだ、と。
 上の問題を、「超越」という哲学用語で説明しようかな、という誘惑に一瞬捉われそうになったが、あまりに強引過ぎるので諦めた。ただ哲学用語としてではなく、ごく一般的な意味で(一般的にそんな言葉は使わないっちゅーの)、つまり人間の個的経験や認識を徹底的に深めることによって、つまり神とか絶対者、あるいは社会とか世間といった、いわば自分の外にある権威や基準に安易に寄りかかることをせずに飽くまで内なる自我に忠実であることによって、逆に「狭い自我」を、「わたくし小説」の「わたくし」を超え出ていく、という意味で使えないであろうか。
 ここでは触れないが、島尾敏雄文学の宗教性、より具体的には彼自身とカトリシズムとの関係という難問を考える際に、以上の考え方の道筋は手がかりになるのではなかろうか。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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