バッカじゃなかろか!

閑話休題

 えっ、これまでが閑話だったの?私としては(どの私?)モノディアロゴスの新しい行き方として、いつかは論文の一部に組み込まれてもいいような文章を層々と積み上げていくのも「あり」かな、と思っていたのだけど。いや私としても(今度はどの私?)そのつもりです。オルテガや島尾敏雄だけでなく、スペイン思想一般、旧満州問題、人間学、ともかくありとあらゆる問題を書きながら考えていくつもりです。
 でも、大事にしたいのは、瞬時に後方へと流れさって行くその時々の心象風景を書き留めたい、と漠然とながら考えてます。いやいや心象風景なんて奇麗事を言いましたが、絶えずどろどろと私の足元にからみついてくる厄介な日常些事との悪戦苦闘を、なんとか言葉にして、その言葉にした部分でだけでもどろどろから抜け出せるのでは、と淡い期待を抱いているのです。
 事実、これまでだって書くことによってどれだけ助かってきたか。そりゃあ書く以上はだれかに読んでもらって、共感してもらったり同情してもらったり(表立ってそう言われるとキズつきますが)したい気持ちはあります。でも負け惜しみじゃなく、それはどうでもいいこと、もう一日一日が必死なのです。認知症という得体の知れない怪物は、思ったよりホント手ごわい。その向こうにあの懐かしい、素直で思いやりのある妻がいるはず、と思いながらも、目の前にいるのは…うーん、やっぱ妻だべさ。ほんの時おり発せられる「パパごめんね」という言葉だけが救い。
 さて天気予報を信じるなら、今日からしだいに暖かさを増し、もう寒さにもどることはあるまい、とのこと。本当だったらありがたい。最低夜中三回のトイレの世話も、これで少しは楽になる。
 夕飯時に見たテレビのニュースが先ほどから気になっている。県立高校での入試問題用紙に一部印刷が不鮮明なところがあり、それで県の教育長とかがテレビ・カメラの前で、あの滑稽至極のパフォーマンス、頭を深々と下げて謝っている。若いアナウンサーがもっともらしく、何重ものチェック体制をさらに強めなければ、などと駄目押しをしている。バッカじゃない!
 もちろん給料をもらっていい加減な仕事をしてる税金泥棒はけしからんが、「挙国一致」だかのその「国」の漢字が不鮮明であったことにガタガタ言うんじゃない!そんな不鮮明な問題を見て、精一杯想像力を働かせ(るまでもないぜ、そんな簡単な四文字熟語)、用紙欄外に「この部分不鮮明ですが、この文脈から見てこれは国という字以外にありませんので、そのつもりで解答します。もしそうでなかったら、もちろん非はそちらです。ソコントコヨロシク!!!」ぐらい書ける奴がいて欲しい。この受験生、他のところが出来なくても、この解答だけでゴーカク!だってそうじゃない?実際の人生はいたるところ不鮮明な字や伏字、わけの分からぬ象形文字だらけじゃーん! 

 あーこれでやっとスッキリしたー!っと。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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