「ゆめはっと」からの回答

先日の質問状に対して、本日、以下のような回答をいただいた。初めにことわったように、公開の形をとったので、以下原文のまま全文を掲載する。これを読んでの感想は、回答の後に書き加える。



平成 20 年12 月12 日

原町スペイン語講座  佐々木孝様


   財団法人南相馬市文化振興事業団  事務局長 渡部定幸


質問状への回答

 いつも、南相馬市民文化会館「ゆめはっと」をご利用いただき、誠にありがとうございます。
 さて、先日ご利用の折り施設利用係職員の佐々木様に対する接客態度に不備があり、佐々木様に大変不愉快な思いをおかけ致しましたとの事、ここに深くお詫び申し上げます。
 当財団は、南相馬市より「南相馬市民文化会館」の指定管理者として委任され、法令はもとより条例・規則を遵守し公正・公平な運営を基本方針とし、開館して4年8ヶ月余の期間を運営してまいりました。また、「ゆめはっと」はこれまで年間平均95,000 人余の利用者の皆様に支えられ、現在では南相馬市内にとどまらず、県内及び東日本各地にも認知される存在となっております。
 練習室の利用時間については、ご承知の通り1時間単位となっており、ご利用時間内に準備・片付けをしていただけるように無理のない計画を立てていただきご利用いただいております。これは、スタジオ利用者にも平等・公平にお願いしており、区分単位利用の大ホール及び多目的ホールにおきましでも同様にご理解とご協力をいただいております。
 今回の質問状にございます「5分前」というのは、連続利用の利用者には平等性はないものの、前後の利用状況を考慮しながら我々事業団の判断によりサービスさせていただいております。当然、 常にお約束できるものでもございませんし、3分前、2分前の場合もあるかもしれません。初回お申込みの際にも、職員より「状況により5分前くらい」と説明するよう指導しておりました。
 質問状にございます判りやすい例えとして挙げていただいた「2,000円に対して10円サービスへの判断」は、共感する部分もございました。利益を確保した上で 0.5%のサービス判断は、ご商売されている方であれば納得のいく数字かもしれません。
 しかしながら、当財団は公益法人として、公の施設である「南相馬市民文化会館」の管理運営に努めなければなりません。仮に均一サービスとして「60分に対して5分 =8.3%」を考えます。公平・平等性を重視しながら、また総経費からの視点で判断されますと、ややもするとマイナス改善のご意見も頂戴することでしょう。
 「10分前」に関しましては、お申込みの際に何らかの誤解があったようです。佐々木様には初回6月12日よりご利用いただいておりますが、利用後に頂戴しました「利用者アンケート」の写しを添付させていただきますのでご確認下さい。その後、都度職員より説明させていただきご理解を得られたと解釈しておりましたが、誤解を招く説明であったかもしれません。
 今後は、このような事の無いよう職員一同接客態度に関しましては厳重に徹底させますので、何卒お許しのほどお願い申し上げます。
 今後も、地域の皆さんが安心・快適に施設を利用できますように、また、気軽に来館できる「賑わいのある市民参加型ホール」を目指しながら、さらなるサービス改善に努めてまいりますので、 何卒、ご理解とご協力のほどよろしくお願い申し上げます。

(担当 : 施設利用係長 田中浩治 電話 : 0244-25-2761)

感想

 実に丁寧な、あるいは慇懃な回答で文句のつけようがない。もともと公開の形をとっているから、これ以上のことを要求するのは無理だったのかも知れない。ただ私としては、かつて二つの介護施設の責任者からいただいた回答のような、率直で誠実な、そして人間味あふれる回答を心のどこかで期待していただけに、残念といえば残念な結果ではある。質問状の真意が理解されなかったという無念さが残る。つまり私は「謝罪」を求めていたわけではないのに、結果として残ったのは「謝罪」だけで、先方の考え方、経営姿勢は従来どおり、一切の変化は見られない、ということである。要するに、私は「いちゃもん」をつけただけで、以後先方はより慇懃に、ただひたすら無難な経営方針を堅持するというわけだ。つまり私の要求は10分前に鍵を渡してもらうことに集約されてしまったわけで、私が出した例え話も、2000円に対して10円の値引きは=0.5%のサービス、などという等式に矮小化されてしまった。


結論

 ないものねだりだった。これ以上、話合う気力も失せた。今あらゆるところに瀰漫している悪しき平等主義、つまりは責任を問われることをひたすら避けようとする保身術がここにも見られるということ。こういう姿勢は、最近の学校経営や教育委員会の姿勢にイヤと言うほど目につく。こういう姿勢では真の人間教育など不可能だし、豊かな文化育成も不可能である
 むかし見た大林宣彦監督の「青春デンデケデケデケ」なかで、今でも鮮明に記憶に残っているシーンがる。ロックバンドを始めた生徒たちに、部室を特別に割り当ててくれた岸部一徳扮する英語教師が言ったセリフ、つまり他の生徒から贔屓と思われることを恐れる生徒に言ったセリフである。「先生は一生懸命がんばる生徒はどんどんヒイキするよ」。一瞬、画面の中をさわやかな涼風が吹き抜けて行ったような気がした。
 一徳先生は、校長や同僚あるいはPTA役員から注意されたり非難されたりするかも知れない。しかし一徳先生はそんなことを恐れてはいない。なぜなら人間の成長や文化の育成にとって、まさに一徳先生のような姿勢が不可欠だからである。さきほど「話合う気力も失せた」と書いたが、「ゆめはっと」の職員の中にも、今回のような公式見解はそれとして、個人としてもう少し人間的な対応ができるような職員が現れることをひそかに願っている。「そっすねー、原則 5分前というになってますけど、こんな端っこにある事務室に3分後にもう一度来て下さいなんていうの、ちょっと酷ですよね。いっすよー鍵持ってって下さいー」
 つまり問題は、5分とか10分の問題ではなく、たかだか3分のずれなのに、あの建物の端っこにある事務室から二階隅っこの練習室まで二度まで往復しなければならなかったことに端を発したのだから。
 人間社会にとって本当に必要なのは、数値的な公平・平等ではなく、もっと柔軟で人間味のある公平・平等である


【息子追記】長年の読者でいらっしゃる阿部修義様からFacebook上で以下のお言葉いただいた(2021年1月28日)

佐々木先生は物事の本質をあらゆる場面で的確に、しかも瞬時にとらえられています。確かに、法律や日常生活の規則は必要ですが、人間を相手に杓子定規にあてはめることはできません。法律や規則の前に人間としてどちらの判断が正しいかという視点で考えることが大切です。その判断で責任を取らざるを得ないのであれば潔く責任をとる。そういう気骨のある人が少なくなりました。要は得か損かではなく、どちらが人間として正しいか否かが重要です。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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