「こをろ」復刻版

午後2時から、今年最初の「島尾敏雄を読む会」。出席者は5人と少なかったが、約一時間半、楽しい時間をすごした。テキストは先月に続いて、「新潮」新年号に掲載された「島尾敏雄未発表遺稿集」。特に「地行日記」の矢山哲治評、「公明正大なずるさ」にこだわった。このことについては、先日眞鍋呉夫さんからいただいた葉書も紹介した。
 いままで埴谷雄高や小川国夫との交流や相互影響などには触れてきたが、島尾敏雄を理解するためには、眞鍋呉夫との交流と相互影響についても検討すべきとの感を強くしている。
 私自身、これから先、島尾敏雄論を書くようなことがあるかどうかは分らぬが、島尾敏雄の文学を真に理解するには、いちど島尾敏雄の脱神話化が必要ではないか、などと3年前のシンポジウムで語ったが、その考えは今も変わらない。そしてそのための一つの足がかりは、「公明正大なずるさ」の対極にある「公明正大にあらざるずるさ」、つまり島尾が矢山の「公明正大なずるさ」を意識したのは、まさに彼自信の内部に、ある種の女々しさ、内に跳ね返るずるさを自覚していたからである。しかしその女々しさは、この場合、つまり文学に関わる問題において、実に重要な意味を持っている。
 簡単に言い切ってしまえば、その女々しさこそ島尾敏雄の核にあるもの、そしてそれは彼のみならず、広く文学そのものにとっても重要な要素であること。つまりもともと文学とは「女々しいもの」ではないか、ということだ。島尾敏雄が現代日本文学にもたらしたもっとも重要な功績は、彼が魂の動きを描く文体を創出したことにあると思っているが、それは女々しさに関係している。つまり魂は稜線の定かならぬもの、常に揺れ動くもの、その意味では女性的なるものだからである。(いわゆる「心理小説」との違いをいつか述べねばなるまい)
 などなど、を語ったのであるが、どこまで伝わったか自信がない。というより、正直なところ、語っている自分自身がいわば手さぐりで話していったわけで、分って欲しいと願うのは無理かも知れない。しかし聴講生の一人の質問やら、皆の顔つきやらから判断して、なにかが伝わったはずだと思いたい。
 帰りがけに、同人誌「こをろ」の復刻版を借りてきた。昭和14年から19年にわたって刊行された14冊の雑誌を見て先ず驚いたのは、あの時代によくもここまでハイセンス(という言い方はあまりに俗っぽいが)な雑誌を、しかも地方で出したものよ、ということだ。毎号の表紙が実に洒落ている。私が特に読みたいと思っているのは眞鍋呉夫の初期作品だが、それについてはいずれ書いてみたい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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