病室から(そのニ)新しい日課

八月二日(日)曇り
 今日もいつものように午前中いちど家に帰りモノディアロゴスを更新したり、写真をプリントしたり、ココアにご飯をやったり(そういえば今日はまだ彼の顔を見ていない)けっこう忙しかった。その間、息子夫婦はベビーカーに愛を乗せて歩いて病院に妻を見舞ったようだ。入れ違いに病院に戻り、昼食を介助したあと嫁が用意してくれた弁当を食べる。
 午後も三時前、まずスーパーに寄って愛のためのアイスクリーム、ココアの餌二箱、夕ごはんと明朝のためのパンなど買って家に。久しぶりにシャワーを浴びた。その後くにみの郷にばっぱさんを訪ねる。
 このように午前中一回、午後一回、それぞれ一時間ちょっとの家と病院の往復が日課になりつつあるが、問題は手術直後からの数日間、集中治療室に移った場合の私自身の身の処し方である。明日にでも看護師さんに聞いてみよう。
 夕方、川口の娘から電話があり、こちらは普通に話したつもりだが、折り返しCメールが入り、先ほどの電話では元気のなさそうな声だったが大丈夫か、と言ってきた。いやそんなことはないよ、と答えてはみたものの、やはりそれとなく疲れが声に出ていたのかも知れない。いまいちばん辛いのは、ほとんどの時間、硬い床の上で生活していることである。狭い床に直接敷かれた一畳ぎりぎりのゴザの上での生活は、腰と膝に負担がかかって、それでなくても重い体重を持て余してしまう。それこそ入院当初に夢想したように、独房の中の死刑囚のように思われてきて、肉体的な疲れ以上に精神的な閉塞感で気が滅入ってしまう。
 そうだ明日家から竹を持ってきて竹踏みをやろう。そしてストレッチや柔軟体操のやり方を覚えよう。できればこの機会に、肉体改造を!池中玄太(つまり80キロ)から、できれば笠智衆みたいな品のいい、しゃりしゃりした体形のお爺さんに!違うかっ!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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