病室から(その三)手術前日

八月三日(月)曇り
 このところ天気予報などに注意してなかったが、もう梅雨は明けたのだろうか。今日も相変わらずどんよりと曇っている。
 午前中の帰宅の際、愛の写真を妻の枕元に飾るための小さな額縁を持ち帰った。さっそく近くのさゆり幼稚園で撮られた愛の写真を入れる。一見プールサイドかと思われる背景だが、よく見ると小砂利を敷き詰めた遊び場らしい。はてそんな遊び場あっただろうか。最近覗いたこともなかった幼稚園だが、スタッフもすべて変わって、知っている先生はいないだろうな。
 あれは大学生の頃、幼稚園の先生方とずいぶん親しくしていた一時期がある。休みで帰省するたびに休日出勤の先生方を訪ねていた気がする。みんなで渋佐の浜に遊びに行った時の写真も残っているはずだ。どんな名目で近づいたのだろう。こちらの魂胆は恥ずかしい記憶とともに甦る。先生の一人に密かに心を寄せていたのである。当時人気のあった若い女優、名前は度忘れしたが、あのロカビリー歌手の小坂一也と一度結婚した女優、に似た先生だった。もう半世紀も前のことだからすべては時効だろう。その顛末?もちろん失恋、というか彼女にボーイフレンドがいることを知って潔く(未練たらたら?)身を引いたというお粗末。
 その幼稚園に、数年経たずして愛がお世話になるはず。家から歩いて何歩といった距離しかない。登園途中の道草の余裕もない近さ。気が強くお転婆予備軍の彼女のことだから、いっぱい友だちを引き連れて帰ってくるだろうな。
 午後のばっぱさん訪問。ちょっと前、起き上がるのに一苦労で車椅子で移動,ベッド脇には常時呼び出しベルが下がっていたが、このごろはまあまあの調子のようだ。美子さんの手術は心配だね、と言ったさきから、白髪が目立ってきたので染めっかな、などと言う。あのねー美子が明日大手をすんのに、その話はないべさ。それに97歳のばーさんがくっきり黒髪なんておかしいべさ。年相応の白髪がいいよ。このばあさん、どんなときにもしっかり自己主張をする。彼女の辞書にない言葉、「遠慮、気兼ね、場を読む、奥ゆかしさ」、やーめた、これでも我が母なり。
 こんなバカ話をしながらも、明日のことが気になっている。果たして五時間にも及ぶ大手術に彼女は耐えられるか。いや意外と体力があるから大丈夫だろう。これまでだって子宮全摘やらヘルペスの高熱にも耐えてきた彼女だ。看護師から明日の手術のために準備するものをと言われたので、夕食前にもう一度家に帰ったり、売店や近くの雑貨屋などを回って揃えた。
さらし一反、バスタオル4枚、タオル4枚、寝巻き(パジャマ)2枚、紙おむつ(長方形のもの)1袋、尿とりパット1袋、ストローか吸い飲み、以上。
 名前を書くのかどうか聞こうと思ったが、どちらにしても病院生活の中ではとりあえず名前を書いておくにしくはない(古い日本語、たぶん生まれて初めて使うぞ)と、先日いわきの姉がそのためにくれた黒のマーカーで名前を付ける。子供の遠足の準備をする母親の気持ち?まさか。
 夜、婦長(あとからそうと知った)が明日のために用意したものを点検に来るという。だいぶ時間がたってから来た婦長、あゝパジャマは必要ないわ、それじゃタオル一枚、バスタオル一枚、紙おしめと尿パットそれぞれ一枚持っていきます、とのたもう。おいおい、夕飯前に急いで走りまわって揃えたのに、と言いたいのをぐっと我慢。しかしそのあとの説明には合点がいかない。つまり集中治療室から個室に戻れるかどうかは今のところ分かりません、と言うのだ。えっその説明は今初めて聞いたことですよ、てっきり個室に戻れるとばかり思ってましたが。認知症のこともあって個室をお願いしたいのですが。えゝえゝ、でも急の重症患者が出る場合もありますし、認知症の患者さんのことはこちらで面倒みれますので。
 いやー、それは無理無理、こんな大勢の患者さんがいて、つきっきりの付き添いの役を少人数の看護師で務められるわけがない。糞まみれのおしめを替えてもらうのと、便器の上でちゃんとお尻を拭いてもらうのとでは、それこそウンデイの差があるってこと。
 彼女が部屋を出て行ってから、いやこれはしっかりこちらの意見を言わなければ、と暗い廊下をナースステーションまで追ったが、彼女の姿はない。他の看護師さんが別の病室にいた彼女を探してきてくれた。
 部屋に来た婦長にきっちり抗議する(こんなとき大きな眼がさらに大きく、声は自然とドスの利いた声になっちゃいます)。この病院のスタッフはどなたも親切でてきぱき仕事をなさる方たちだととても感心していたのですが…(まずほめて)きちんと説明しなければならないことがなされてない、ついては個室のことですが、なんならもっと上の人と話しましょうか。いえそれには及びません、私が病室のすべてを管理してますので。それじゃ話はかんたんです、個室は絶対に確保してください、分かりましたか。はい。分かりました、そのように手配します。
 いよー大統領!そう、そうこなくちゃね、いつものこわもての交渉術!大向こうからの声、ではなく同じ血を引く娘からの、それも想像上の声でした。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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