病室から(その三十一)雨のプノンペンから

八月三十一日(月)曇り時々小雨

 朝、川口の娘と頴美から誕生祝いのメールが入っていた。帰宅して覗いたパソコンにもプノンペンの姪からのメッセージが届いていた。もちろん私自身は行ったことはない南の町で毎日モノディアロゴスを読んでくれているらしい。嬉しいことだ。車が増えてきたのはいいが、ときおり逆走してくる車もあるそうなので、おそらく旦那さんの最後の海外勤務でしょう、残された日々をどうか無事過ごしてほしい。
 病室生活に入ってからはいっさいテレビを見ず、社会の動きはひたすら新聞の報道だけに頼っているが、こういうのもいいなと改めて思っている。お笑い番組を見れないのが少しさびしいが、しかしあれも一種の中毒症状みたいなもので、見ないでもけっこう過ごせるものだ(当たり前田のクラッカー)。で、選挙の結果は予想通り。民意、といっても正体不明の化け物みたいなものだが、けっこう正常に機能した。つまり根底にあるのは政治不信の極み、愛想尽かし、できれば棄権したいが、そうすればいよいよ馬鹿な政治がまかり通るので、それよりかはともかく場面転換と思っての投票行為がかなりの部分を占めていたはずだ。
 そんなことより、私自身が決めた原稿締め切りはやはり守られそうにない。いま言いいたい、そして言えることはだいたい考え尽したので、それをなんとか塩梅するだけなのだが、やはり自分で決めた締切はなかなか守りにくい。(なんてなにを御託並べてる!ともかく今日中に仕上げろ!)
 さて今晩見ようと思うのは(おいおい、原稿が先でねえの?)、昨夜に続いてもう一つ別のイラン映画『こんなに近く、こんなに遠く』でありまして、タイトルはちょっと間延びはしておりますが(やっぱりまずいよ、今晩は)…えー書くことがないので、私もいま間延びさせてるわけでー、このひと月毎日書いてきたその真面目さというか律儀さというか、それに免じて今日はこの辺で失礼します、はい(いいよいいよ、書けばいいつ-もんでもないんだから、書けない時は早く引っ込みな)。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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