病室から(その三十八)退院に向けて

九月七日(月)晴れ

 排便の方は入院前の状態に戻ってはいないけれど、しかし考えてみればこれはいわゆるリハビリの問題ではなく、認知症の進行に関するトラブルと考えるべきなのであろう。今朝の回診の際、I医師に聞いたところによると、術後の回復はすべて順調、つまり骨も充分に固まっており、よほどの外圧を加えない限り問題はないそうである。あとは落ちた筋力を回復させ、歩行などに耐える体力をつけることらしい。
 実は午前中一回、そして午後も一回、階段の昇り降りを練習したのである。午後などは三階から一階まで階段を降り、すこし長い廊下をリハビリセンターまで歩いてみたのだが、どこかが痛み出すことも、息切れすることもなく部屋に戻ってきた。
 ということは、機能的にはすでに回復しており、あとは栄養をつけ筋力をつけることだが、これは自宅で充分できることである。そして今いちばん問題になってきたのは、病室で長い時間ただ天井を見ていることで、認知症の進行自体が進んでしまうことであろう。つまり退院して一日も早く以前の生活に戻った方が、脳のためにもいいのではないかということである。テレビや音楽を見たり聞いたり、孫の相手をしたり、車に乗って買い物やばっぱさん訪問をしたりすることの方がいい、ということだ。退院がどういう手続きで決まるのかどうか、その仕組みが分からないが、どちらにしても今週いっぱいが目途ではないか。さてどう働きかけていったらいいのか。
 午後の帰宅時、東京から帰省していたOご夫妻が訪ねてこられた。奥様は初めてのご来駕である。久しぶりに本のことや仕事のことが話せて大いに気分転換になった。前回いっしょに来られた一人娘さんは、京都の看護学校で無事学んでおられるという。大変な看護師の仕事を自分から選んだのは偉いな、と思ったが、あとから思い出したのは、たしか奥さんも元看護師だったのでは、ということだ。それならなおさら偉いことだ、と思う。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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病室から(その三十八)退院に向けて への1件のコメント

  1. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    ウナムーノをペン・ネームにするお友だちがいらっしゃるとか。隠れウナムーノ(隠れてるわけでないでしょうが)ファンがいるなんて、嬉しいです。励ましにお応えして、ウナムーノについてもう一踏ん張りしようかな、という気になってきました。ありがとうございます。

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