ペソア詩の翻訳をめぐって(その三)


腕を掴むな(“Lisbon Revisited”より)
                アルヴァロ・デ・カンポス


(I氏訳)
     腕を掴むな
     掴まれるのは嫌いだ 一人だけでいたいのだ
     一人だけでだ 忘れるな
     仲間に這入れなどと言われるのは遣り切れない

     青い空――子供の頃とかわらぬ空――
     虚ろにして完璧なる永遠の真実よ
     遠い昔から黙して流れる優しいテージョ川
     空を映す小さな真実よ
     ふたたびおれの訪れた苦悩 昔にかわらぬ現在のリスボンよ
     お前はなにもくれぬ 奪わぬ お前は無なるもの
     そしてそれこそおれの感じているおれだ

(S氏訳)
     腕に触るなって!
     腕を組まれるのは嫌いなんだ ひとりでいたいんだ
     ひとりきりだと言っただろう!
     一緒にいてほしいなんて迷惑千万だ

     ああ青い空――子どものころとおんなじだ
     空虚で完璧な永遠の真理だ
     ああ 父祖の時代から無言で流れるテージョ川よ
     空を映し出す小さな真理だ
     ああ 再び訪れたこの苦悩 昔と変わらぬ現在(いま)のリスボンよ
     何も与えず 奪いもしない おまえはおれの感じる虚無そのものだ

平沼氏の意見

 「腕を掴むな」はS訳の日常口語体は目障り。I訳の「ふたたびおれが訪れた苦悩」は欠点。「再び訪れたこの苦悩」(S)もそれほどよくなったとも思われません。いっそ「ふたたび訪れたおれの(我が)苦悩」-「リスボン」としても誤訳にはならないでしょう。

(クレスポ訳)
     ¡No me cojáis del brazo!
     No me gusta que me cojan del brazo.
     Quiero ser solo
     ¡Ya he dicho que soy solo!
     ¡Ah, qué fastidio querer que sea de compañía!

     ¡Oh cielo azul――el mismo de mi infancia――.
      eterna verdad vacía y perfecta!
     ¡Oh ameno Tajo ancestral y mudo,
     pequeña verdad en la que el cielo se refleja!
     ¡Oh amargura revisitada, Lisboa de antaño y de hoy!
     Nada me dais, nada me quitáis , nada que yo me sienta sois.

貞房試訳
     腕など掴まないでくれ!
     ひとから誘われるのは嫌なんだ。ひとりでいたいんだ。
     言っただろう、おれはひとりだって!
     仲間になれだなんて、ああ嫌だ嫌だ。

     ああ青い空――私の子どもの時と同じ――
     完璧なまでにすっからかんで果て知らずの真理よ!
     ああ、昔から心地良いまでに無口なテージョ川
     川面に空が映る小さな真理よ!
     そして再び訪れたリスボン、そのほろ苦さは昔も今も変わらない!
     そう、お前たちは何もくれないし、何も奪わない
       私が感じるのは、ただお前たちの無そのもの。


貞房の見解

 詩人が語りかける相手は、青い空、テージョ川、そしてリスボンである。詩人は一方ではそうした懐かしいしがらみに惹かれながらも、一方ではそれらを激しく拒絶する。まさに引き裂かれているが、だからこそ逆説的に愛着が募る。
 リスボンまでたどり着いたテージョ川は、上流のスペインではタホ川、あのエル・グレコの町トレドの脇を流れる川である。そこではテージョ川の「心地良さ」はなく、乾いた大地をまるで剃刀のように鋭くえぐって流れる。同じ川ながら、スペインとポルトガルの違いを見事に形象化した川である。

※ 平沼氏はさらに他の詩にも言及されているのだが、それらはいずれもクレスポ訳には見当たらず、したがって私にとって「改訳」のしようがないので、にわか翻訳教室はこれで打ち止めとする。なお今回、アマゾンからゼニス編訳のペソア詩集と散文集も手に入ることになった。これまでペソアにのめりこむとは自分でも思ってもいないことだったが、しかし前にも書いたとおり、徐々に A・マチャードへとシフトするつもりである。たしかにペソアにはセイレーンのような魔力がある。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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