ココアがんばる

本当は今晩あたり、ココアの追悼文でも書かなければならないのではと思っていた。というのは、一週間ほど前から急激に痩せてきて、それでもルミンA錠や、人間様たちも時々しか食べないようなまぐろの刺身のおかげで何とか生きてきたが、一昨日の夜ごろからはほとんど食べず、水だけになり、もう駄目だろう、と覚悟していたからである。
 昨夜などは、息をしているかどうか分からぬぐらい、ぐったりしていた。だから朝までは持たないのでは、と思いながらも、いつものペット用の電気アンカの上に寝せ、その上から古いセーターをかぶせておいたのである。ところが朝方、恐る恐るふすまを開けてみると、寝ているはずのココアの姿が見えない。あわてて服を着て廊下、階段、そして下の廊下と見てみたが、いない。さては外に出たのか、と玄関を出て、普段ココアが出入り口に使っている古い方の玄関に回ってみると、その出入り口の前にうつぶせになって平たく横たわっているではないか。てっきり死んでいると思い、元気な時の半分にもならない軽い体を抱き上げて家に入ろうとしたとたん、水鉄砲のように細い小便が弧を描いた。まだ生きていたのである。
 二階に連れ帰り、彼の寝床に入れてやると、ストーブの熱も伝わって体が温まったのか、体を動かし、かぼそくではあるが鳴きだした。驚くべき生命力である。姉のミルクだったらとっくに死んでいたであろう。それにしてもなぜ外に行ったのか。小便をするため?
 しかし昨日はずっと寝たきりで、小便もやっと起き出して絨毯のうえに敷いた新聞紙の上にしていたのに。この冬一番の寒い朝(たぶん零下3-4度)、ふらつく体をふるい起こしてまでなぜ外に出たのか。彼のおかあちゃんが、八王子の家で、やはり寒い朝、家の横で死んでいた光景を思い出す。野良の子として本能的に死に場所を求めて外に出たのだろうか? ただ哀れなのは、倒れていたとき、彼の体は明らかに出入り口の方に向いていた。やはり家に帰りたくなったのか?

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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