本当は今晩あたり、ココアの追悼文でも書かなければならないのではと思っていた。というのは、一週間ほど前から急激に痩せてきて、それでもルミンA錠や、人間様たちも時々しか食べないようなまぐろの刺身のおかげで何とか生きてきたが、一昨日の夜ごろからはほとんど食べず、水だけになり、もう駄目だろう、と覚悟していたからである。
昨夜などは、息をしているかどうか分からぬぐらい、ぐったりしていた。だから朝までは持たないのでは、と思いながらも、いつものペット用の電気アンカの上に寝せ、その上から古いセーターをかぶせておいたのである。ところが朝方、恐る恐るふすまを開けてみると、寝ているはずのココアの姿が見えない。あわてて服を着て廊下、階段、そして下の廊下と見てみたが、いない。さては外に出たのか、と玄関を出て、普段ココアが出入り口に使っている古い方の玄関に回ってみると、その出入り口の前にうつぶせになって平たく横たわっているではないか。てっきり死んでいると思い、元気な時の半分にもならない軽い体を抱き上げて家に入ろうとしたとたん、水鉄砲のように細い小便が弧を描いた。まだ生きていたのである。
二階に連れ帰り、彼の寝床に入れてやると、ストーブの熱も伝わって体が温まったのか、体を動かし、かぼそくではあるが鳴きだした。驚くべき生命力である。姉のミルクだったらとっくに死んでいたであろう。それにしてもなぜ外に行ったのか。小便をするため?
しかし昨日はずっと寝たきりで、小便もやっと起き出して絨毯のうえに敷いた新聞紙の上にしていたのに。この冬一番の寒い朝(たぶん零下3-4度)、ふらつく体をふるい起こしてまでなぜ外に出たのか。彼のおかあちゃんが、八王子の家で、やはり寒い朝、家の横で死んでいた光景を思い出す。野良の子として本能的に死に場所を求めて外に出たのだろうか? ただ哀れなのは、倒れていたとき、彼の体は明らかに出入り口の方に向いていた。やはり家に帰りたくなったのか?
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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