おそらくは八百本近くになろうと思われるビデオ映画をDVDに移す作業がまだ終わらない。時間を見計らっての機械的操作だから、ダヴィングの時間そのままを取られているわけではないが、なんて馬鹿げたことをやってるんだろう、などとボヤキながら、ともかく乗りかかった船、最後まで終わらせないと気がすまない。
今機械的といったが、ときおりまだ見ていない(半分くらいがそうかも知れない)映画を部分的に見てしまうことがある。たまたま今日移し終えたものに、フランス映画の『地下鉄のザジ』があった。フランスの詩人・小説家レーモン・クノーの原作を映画化したものということだ。一時期話題になったフランス映画のヌーヴェルヴァーグ運動の先駆けとなったルイ・マル監督のコメディ映画である。 紹介記事によるとストライキで地下鉄が運行していないパリを舞台に、少女ザジが町をさまよう様子をシュルレアリスム的でスラップスティックな表現で描いたものらしい。
しかし飛び飛びに見た感じでは、まったく面白さが感じられない。そもそもスラップスティックそのものが性に合わないのかも知れない。これと同じ印象、つまり面白味のなさは、イギリスでは人気が高いらしいミスター・ビーンのコメディにも感じた。なんでこんなものが面白いんだ、と見るたびに腹立たしい思いがした。「笑い」は国や文化の違いがもろに関係しているものだろうから、他国の人が面白いと言っているものにケチをつける気はないが、しかし同じくイギリス生まれのチャップリンの方はじゅうぶんに面白く感じられるのはどうしてか。
ザジなどという不思議な名前を持った女の子に興味を持ったのは、私の例の性癖(?)、つまり強い女の子好き、からだったが、たしかにこの女の子(カトリーヌ・ドモンジョなどというカトリーヌ・ドヌーブとミレーヌ・ドモンジョという二人の美人女優と紛らわしい名前の持ち主で、少し歯の欠けた元気な女の子だが、話の展開そのものがあまりにも荒唐無稽で、ザジの魅力半減いや激減でまったく付いていけない。
ともあれ、モモや長靴下のピッピー、そしてこの地下鉄のザジ、などなど、これからも強い女の子モデル探しを続けるかも知れない、書けるかどうかも分らない私のファンタジーの主役を探して。
-
※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
キーワード検索
投稿アーカイブ