井上マスと吉野せい

先日、井上ひさしのご母堂マスさんについて書こうとしていた。井上ひさしの本を本棚からかき集めた際、彼女の『人生はガタゴト列車に乗って』(ちくま文庫、1986年)が紛れ込んでいたのだ。読んだ記憶がないので、最初のページを読んでみた。びっくりした。

 「刻々に冷えてゆく亡骸に添い寝をした狂気も、消え去ったあなたの命の緒を、いっときでも私の体温で呼びもどしたい、妻のせつない祈りでした。
 長く生きすぎた三毛猫が、追いやっても追いやっても、あなたの枕もとに近寄っては、しきりに鳴き声をあげます。」

 マスさんは明治49(1907)年の生まれというから、この文章を書いたのは、彼女の70代後半ということになる。すぐ連想したのは『洟をたらした神』の吉野せいのことである。吉野せいが堰を切ったように名作を発表したのも、彼女の70代半ばのことであった。
 『洟をたらした神』の文章を引用して両者の類似点を示したかったのであるが、あったはずの書棚には見当たらないので、それは後日改めてということにしたいが、今の段階でも確言できるのは、一方は愛する夫、そして他方は医者のいない開拓地で失ったわが子梨花、と共に鎮魂の文章だということである。マスさんの夫修吉が結核性カリエスで亡くなったのは昭和14(1939)年、そしてせいさんの幼い娘が死んだのも執筆時から逆算して遥かなむかし、つまり二つの死はともに半世紀近くも彼女たちの胸中から消えることのない痛みと悲しみの根源であった。
 小川国夫の『弱い神』の文体が「語り」であることは先日指摘したとおりであるが、実はマスさんとせいさんの文体も本質的には「語り」から成り立っている、と言いたいのである。つまり愛する者の死を胸中深く語ることによって生きてきた者の紡ぐ言葉からできあがっているのだ。だれに向かって語るのか。もちろん先ずは死者たちに向かって、そして次いで、愛する者の死を共に悲しんでもらいたい人たちへと語りかけている。いやもっと正確に言えば、作者自身の胸の中に住む親しいものたちすべてに向かって語り続けるのだ。
 こういう文章を読むとき、真っ先に感じるのは、理屈抜きにかなわない、という思いである。つまり作品の結構とか表現方法などを工夫すること以前の、いわば構えることのない、抜き差しならない言葉が滞ることなく紡ぎだされたものだから。なぜなら、紙に書き付けられるまで、すでに数え切れぬほどの回数、それらは彼女の胸の中を、ときに痛みや涙とともに、風のように通り抜けたからである。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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