『モノディアロゴスⅢ』あとがき

もののはずみで始めた『モノディアロゴスⅢ』の編集も、四日ばかりかけて今日の夕方いちおう完了した。予想外の速さである。二〇〇八年一月六日から昨二〇〇九年の七月十六日まで、つまり美子の入院までのものをその範囲としたが、これも予想を上回って三五〇ページ近くの分量になった。『Ⅱ』より四〇ページも多い。しかしこの分量だと、「製本屋さん」の処理能力を越え出るし、表紙印刷がたぶん無理になる。
 読み直すまでもないが、中には収録する価値なしと思われるものも相当数あるので、この際四〇ページ分ほど削ることにした。たとえばウィキペディアについて、心覚えの意味でほとんどネットからの引用でできあがっているようなものがあり、これは真っ先に削った。また昨春、同人誌『青銅時代』第四十九号に出したもののうち、あまり後味のよくない文章、とりわけ他人の批評をしているものは割愛することにした。
 こうして最終的に三〇四ページとなった。分量的には『Ⅱ』とほぼ同じなのに、収録件数がかなり少なくなっているのは、二ページに収まりきらずに三ページにわたるものがかなりあったからである。この点で、当初の千字枠は実質上崩れてきたわけである。正確に言えば、二ページ見開きだと九五〇字、そして三ページだと一四〇〇字となり、どちらにせよ千字ではなくなっている。
 ではこれからはどうするのか。今後も千字はあくまで一応の目安にして、あまりこだわらないことにするつもりである。
 これまでの二冊は、いずれも二刷あたりから中村忠夫氏や平沼孝之氏から「解説」文をいただいたが、今回もまずは出版して、万が一また何か書いてくださる方がいらっしゃれば望外の幸せと、その時点で収録を頼み込んで以後の版に加えさせていただく、などと虫のいいことを考えている。今のところ、そのための紙幅は六ページ分残っている。よろしくお願いします。


        二〇一〇年七月八日 著者記す。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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