ケンチとすみれ

先日、久しぶりにベッケルの詩を一つ紹介した。あの詩は、むかし「ケンチとすみれ」というテレビドラマの中で印象深く使われていて記憶に残っていたのだが、後年ベッケルの詩集を見たとき、そこに原詩とおぼしきものを発見してびっくりした。詩もそうだが、あの時の主演者の一人、林美智子のすみれという娘がとても魅力的だった。だから「北の国から」に彼女が出てきたとき、若いときのすみれの印象とダブって、美子と二人、大喜びしたものだ。特に夜の材木置き場で、久しぶりにあった幼馴染の五郎に向かって、「星がきれいだ・ね」という北海道弁の言い回しを美子と真似て楽しんだものだ。
 ウィキペディアで調べてみると、ドラマはNHKが1967年10月から1968年9月まで放送したもので、旧制高知高校の青春群像を描いたもの、出演者は林の他に藤岡琢也、山本耕一などが出演したとある。また当時人気の頂点にあった青島幸男が番組途中で参議院議員選挙出馬のため突然の降板となっって話題になったらしいが、私にはむしろ「坊や」役の山本耕一が好印象を残した。キャストを見ると、林美智子は床屋の娘役で、マドンナ(国子)役は野川由美子だったようだ。
 1967年(昭和42年)というと、待てよ、私がイエズス会を退会して原町に戻ったのがその年の十一月下旬だから、そのころから翌年九月まで「ケンチとすみれ」を見たことになる。となると、テレビは二人で一緒に見たのではなく、原町と福島で別々に見たのだろうか(どちらでもいいか)。
 ところでベッケルの訳には、『抒情小曲集』(荒井正道訳)、『緑の瞳、月影』(高橋正武訳)そして『スペイン伝説集』(山田真史訳)があるが、『わが僧房から(Desde mi celda)』はまだ訳されていないようだ。時間があれば(いや時間というのは余暇というような悠長なものでなく、文字通り死ぬまでの時間のことだが)訳してみたい気もするが…
 『抒情小曲集』というのは Rimas de dentro のことで、たしかウナムーノにも同名の詩集があり、その方は『内部の調べ』となっている。確かにベッケルの詩は叙情性に傾いてはいるが、しかし彼の詩の総体を抒情詩とみなすのはどうかな、と言う気がしないでもない。
 ついでだから、もう一つ好きな詩を紹介する。荒井先生の訳詩集は持っていないので、即席に訳してみる。ちなみに先日の詩は第38番、そして今日のは第21番である。

    詩とは何? と君は言う
    君の青い瞳が私の瞳を射る
    詩とは何、と私に問うのか
    詩とは……君のことさ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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