どうしてシベリア抑留よりの帰還者で片手の画家、その奥さんの『夫の右手――画家・香月泰男に寄り添いて』の古本など注文するようになったのだろう。確か初めはデュアメルの『パトリス・ペリヨの遍歴』だったはずだ。そして彼の『パスキエ家の記録』全十巻のうち、第一巻から第六巻までがわが家にあり、それらを三巻ずつ二冊の合本にしたものを見つけ出してきた。この際だから全巻そろえようか、とアマゾンを調べると、第七巻から第九巻までが見つかったが、それぞれが千円と私の基準では高すぎ、しかも第十巻がないとなれば、またまた欠落感が残ることになる。
いやそもそも読まないかも知れない本をなぜ買い求めようとしているのか。単なる蒐集癖ではなかろうか。そこで我に返って、今回は見送ることにしたのだが、その時、訳者・長谷川四郎のことが気になりだした。確か『シベリア物語』という文庫本があったはず。さっそくこれも探し出してきた。旺文社文庫、一九七八年、第三刷である。あまりに汚いので、茶色の布表紙に装丁した。そのとき裏表紙の見返しに、確かにばっぱさんの筆跡で変な文句が黒インクで書かれていた。
アア ほれたわたしの身のあやまりで
どんな無理でも いわしゃんせ
ええっ、これ何?なにか民謡か都都逸の一節だろうか。気にはなるが、ばっぱさんに聞いても分かるはずもないので、探索はあきらめた。しかしこの文庫本、私が買った記憶はないのである。ガルシア・ロルカ詩集の翻訳に長谷川四郎訳のものがあったことは覚えているが、『シベリア物語』を買った覚えも読んだ覚えもない。でもばっぱさん、こんなもの読んでいたのだろうか。高橋和巳のものなど何冊かばっぱさんの書庫にあって意外に思ったことはあるが…シベリア抑留に興味を持ったのだろうか。
ともかく長谷川四郎という面白い作家が気になりだして、漠然とアマゾンを検索していたとき、面白いものを見つけた。『父・長谷川四郎の謎』(長谷川元吉、草思社)である。紹介文にはこう書かれている。「初めは関東軍のために働く満鉄の調査部員、次には理想に燃える協和会事務長、やがて共産主義者と思われるようになり、一転、北方国境の警備を務める一兵卒に…。その結果、実はソビエトの(あるいは日本の)スパイだったのでは?などと息子の前には疑問符が山と積まれて遺された。しかし、幼かった弟の衝撃的な死に様の記憶を糸口に、疑問の解明にのりだした著者はいつしか運命に導かれるようにして、作家・長谷川四郎の内面の秘密にたどりつく。」
なにか面白そうだ。父・稔のことを書くときに参考になりそうだ。それで安くもあったので、注文した。そして改めて『シベリア物語』の解説(内村剛介)を読み始めたのである。内村は一時期、ロシア文学の翻訳をめぐって論争していたことのある人だ。つまり彼もシベリア抑留経験者なのだ。そしてその解説の冒頭で、またまた面白いことが分かった。つまり長谷川四郎の長兄・長谷川海太郎があの『丹下左膳』の作家・林不忘だということを。以前、左膳が相馬中村藩士であることに興味を持って購入したが、まだ読んでいない。それはともかく長谷川四郎という人間は、作家としてというより人間としてなかなか面白そうだ。
そして内村剛介の解説の中に、当然ながら香月泰男のことが出てきたのだ。あゝ、これでやっとデュアメルから香月泰男が繋がった。漫才で、言いたいことがなんであったか思い出せず、えらい回り道をしてようやく言いたかったことにたどり着く、という笑いのテクニックがあるが、私もこのごろ、結末と発端のあいだが記憶から抜け落ちてしまうことが良くあり、今回もそんな展開になった。いい時間つぶしができたが、でもつぶす時間など本当はそんなに残ってないんだけどな。