猿飛佐助と良寛

デュアメルや長谷川四郎の本を埃の中から救い出したことがきっかけで、今日も何冊か本箱の隅から見つけてきた。今日はとりあえず、そのうちの二冊を紹介する。一冊目は立川文庫『猿飛佐助』である。もっと詳しく言えば、立川文庫の第四十編『真田三勇士忍術名人 猿飛佐助』(立川文明堂、大正十四年、定価三十銭)である。どうしてこんなものが紛れ込んでいたのだろう。『シベリア物語』の場合よりさらに謎である。
 猿飛佐助は、私の子ども時代、実際の作品は読まないのに霧隠才蔵や孫悟空などと一緒にヒーローであった。今の子どもたちのマジンガーZやガンダムと同じだろう。ところで今ではタチカワブンコと呼ばれているが、もともとはタツカワブンコと言ったらしい。つまり最初、旅回りの講談師玉田玉秀斎や山田阿鉄らが講談話を小型本するアイデアを思いつき、いろいろな版元に話を持っていくが相手にされないのを、立川(たつかわ)熊次郎が話に乗り、立川文明堂を起こしたのが始まりだからだ。
 四六判半裁のクロス装、一部二十五~三十銭で売り出し、古本+三銭で新本と交換するシステムを導入するなどして大当たりをとった。当時、古典を中心とする袖珍文庫(三教書院)が銀杏の模様だったのに対し、立川文庫は蝶を使ったため、前者は「いちょう本」、後者は「こちょう本」と呼ばれて人気を競ったらしい。
 ところで『猿飛佐助』は雪花山人著となっているが、先の阿鉄やその弟の顕、唯夫など複数のものが執筆を担当したという。せっかくだから(?)冒頭の一節を引用してみよう。

イデヤ組討御参なれ
 虎は死して皮を遺し、人は死して名を遺す。建武の昔は大楠公正成、降って真田幸村、元禄四十七義士の快挙、明治聖代の乃木大将、各々其の目的は異りと雖も、志は一なり、或は勤王と云ひ、忠君と云ひ、節義と云ひ、何れも武士道の亀鑑として、千載に傳ふべきの大人物に相違なく、當時の天下を背負って立つたる大器量人と云つて然りである。

 これだけ見れば読みにくいようだが、すべての漢字にルビが打たれていて、講談の調子で読んでいけば、テンションも上がっていくであろう。念のために言うが、イデヤは感嘆詞であって観念のイデアでない。それにしても、いったい誰が持っていた、あるいは購入した本だろうか。暇なときにでも、講談調でテープにでも吹き込んで遊んでみようか(暇っすなー)。
 さてもう一冊は古びた一冊の角川文庫『良寛歌集』(井本農一・関克己校註、一九六五年、再版)である。これも名前だけは知っているが、実際にはどんな人なのか、どんな歌を残しているのか、まったく知らないのである。ぱらぱらとページをめくっているうち、これは少し読んでみなければ、と思いはじめた。出雲崎の人で、アッシジのフランシスコと同じく、富裕な商家の生まれながら仏門に入ったが、一生寺を持たず、故郷の国上山(くにがみやま)の五合庵に隠棲し、枯淡の境地を和歌・書・漢詩に託した人。うーん、私とはまるで違う生き方だが、日本的な精神的境位の高さを具現した人として興味がある。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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