カルペ・ディエム(その日をむさぼれ)

ネットで買ったグルコンEX錠のおかげか、それともようやく自然治癒のプロセスが始まったのか、腰痛と膝の痛みが治ってきた。しかし油断は禁物。何かの拍子に、右膝がかくっとなりそうで、特に階段の昇り降りに注意している。だから本を探しに下の部屋に行くのがなんとなく億劫なのだが、でも少しずつリハビリも必要と考えてゆっくり降りていく。
 思えば、一時期はビデオテープからDVDへの変換を憑かれたように続けたが、最近は古い、見捨てられたような本を探し出してきて、装丁をし直したり、合本にする作業に没頭している。例のフィリップの三冊の文庫本も布表紙の合本にしたし、今日も先ほどまでタブッキの五冊の白水Uブックスを背革布表紙の豪華合本に作り変えたところだ。すなわち刊行順に『インド夜想曲』、『遠い水平線』、『逆さまゲーム』、『レクイエム』、そして『供述によるとペレイラは…』の五冊である。うち『レクイエム』を除く四冊は、あの須賀敦子の訳である。確かこのタブッキは、ペソアがらみで出会ったはずだ。
 ペソア…あれだけ騒いだのに、なぜかはるか昔のような感じがする。またいつか戻っていきたいのだが、今はちょうど昆虫がおのれの唾液で巣穴を内部から塗り固め、穴があれば補修するような作業から抜け出せない。いつか巣穴の天蓋をすべて塗り上げる日が来ることを願うしかないが、それだけでは済まず、新たに獲物を運びこんでいるのだから、いつ終わるとも知れない。
 夕刻、帯広の健次郎叔父から十勝特産の長芋やら馬鈴薯やら豆などが送られてきた。そろそろアンポ柿でも送らねば、と思っていたのに先を越されたかたちだ。夕食のときに電話したら、いま温泉から上がってきたところで裸なんだ、などと言う。温泉? 十勝川温泉だろうか。いずれにせよ、九十三歳になるこのばっぱさんの愛する弟は、今日もパークゴルフ、ダンス、カラオケの享楽生活を満喫している。いやそれに温泉三昧が加わるか。
 ところでその姉のばっぱさん、今日は神妙にしていた。昨日のこと反省してんだべ、と言ったら頷いた。そう、あんたの弟のように、こうやって生きていることを最大限感謝してにこにこ暮すべ。苦虫噛み潰したような陰気な顔しないで……あっそうか、この俺も余計な心配しないで明るく楽しく暮すべ。そう、ホラティウスさんも言ってたっけ、カルペ・ディエム(その日<その日>をむさぼれ)と。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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