お母さんに会いたい

米原万里のプラハ紀行を書くつもりだったが、その前に今さっき見たばかりのBS「お母さんに会いたい」について書かなければならない。見ていて最後は涙が止まらなかった。フィリッピン・ミンダナオ生まれの幼い兄と妹のドキュメントである。二人はバギオの叔父の家に世話になりながら、兄は(十歳くらいか)市場で買い物客めあてにビニールの袋売り、妹は学校に通いながら時々兄の手助けをする。二人は缶からに稼いだ小金をためてミンダナオの実家に送金する。
 しかしお母さんは妊娠中絶の時の傷が治らずに入院したとの手紙を受け取って、二人の兄妹はさらに仕事をがんばる。そしてようやく船賃をかせいで、二日間の船旅の末にミンダナオに帰省する。小さな弟たちや臥せっている母親に対して、堪えてきた二人の感情が溢れ出る場面が美しい。二人はそのまま家族と一緒に暮したいのだが、親たちが借りた借金の返済のためには再びバギオに帰らなければならなくなる。借りた土地に米を植えて得る収入より、バギオの市場での子供たちのわずかな稼ぎの方が多いのである。フィリッピンでも最貧地方の実態に胸がつまる。
 大事なデータを言い忘れた。彼らはモスリム。アメリカの9.11以降、過激派ゲリラに対する掃討作戦で、モスリムの多いミンダナオは壊滅的な経済状態になっているのだ。
 泣きの涙で家族と別れるときの兄と妹の姿を正視することができない。妹は七歳くらいだろうか。帰りたくないと母の胸にしがみつくが、兄にいさめられてバスに乗る。しかしその健気な兄の後姿も大きく波打っているのが分かる。わずか八日間の短い帰省、そして二日間の長い船旅のあと、また市場で袋を売る兄の姿で画面は終わる。
 妹はキリスト教徒の多い学校に通うが、よくテロリストと呼ばれていじめられる。あるとき、将来の夢は、と聞かれて、利発でしっかり者の兄が応える。僕の夢は大統領になること、そしてクリスティアーノとモスリムが仲良く暮せる社会にしたい、と。テロリストを作るのは誰か。ミンダナオの少年たちの家は、政府軍の掃討作戦で、トタン屋根に大きな爆弾跡が残っていた。モスリムを極貧の生活、将来に夢を持てないような生活に追い込んで、問題が解決するはずもない。
 二人の兄妹には悪いが、この七十一歳の爺さんは、彼らの生き方を見て不思議な力をもらったのである。彼らに較べれば、なんと恵まれた状況の中で生きていることか。なんだか元気が出ない、など何を寝言を言ってるのか!あのお兄ちゃんの輝く目、そして我が家の孫娘に似たあの妹のつぶらな瞳、あゝじいちゃんも頑張るぞ、負けてたまるか!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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