総括なんてできません

予定通り、お昼にばっぱさんを迎えて、少し早めの年越し蕎麦を食べた。昨夜はよく寝られなかったので朝寝をしてましたというスタッフの話のとおり、ばっぱさん、家に着くまですこぶる機嫌が悪い、というより性格の悪さをもろに出したので、大人気ないとは思いつつ大声で叱責(なーんて言葉、九十八歳のばーさん相手に使うのはちと変だが)。
 頴美が用意してくれた料理も、まだ全部食卓に並ばないうちに手で食べ始める始末。「なーんだべ行儀悪いしたー、むかし先生やってたとはとても思えねーど」と精一杯に皮肉を言ったが、まったく応えない。見てると腹が立つので、こちらはひたすら美子の世話に没頭。
 しかし食後、席をソファーに移して、愛の相手をするころには正常(?)に戻ったのか、機嫌よくなってきた。送り届ける車中で、「さっきは態度悪かったど。そしてなー、施設でみんなと食事すっときはな、みんなと一緒にいただきますって言う前に一人で食い始めるのだけはやめろよな」と言うと、すごく神妙に「んだなー」などと言う。長年の一人暮らしで、狼に育てられたインドの少女のように、行儀作法は忘れたのかも知れない。
 いっときは、あーあーやってらんね、こんな気持ちで年越しか、と思ったけれど、素直になったばっぱさん、やっぱめんこいわ。てな気持ちになって家に帰ってきた。
 そんなこんなでばたばたしているうち、いま十二時をまわったところ。どこかのお寺の除夜の鐘がかすかに聞こえてくる。そうかもう新年になったのか。考えてみれば、今日は、いやもう昨年になってしまった「今日は」したことと言えば……もしかすると古い文庫本を一冊、布表紙の美本(?)に仕立て上げたことくらいでねーの。むかし何度かその名前を上げさせてもらった笠信太郎の『ものの見方について』(河出市民文庫、昭和二十六年、八版)である。
 上げさせてもらった? そうだ、マダリアーガの『情熱の構造――イギリス人、フランス人、スペイン人』を翻訳したり紹介したりしたときだった。もっと正確に言うと、笠信太郎がその本の冒頭で、「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走り出す。そしてスペイン人は、走ってしまった後で考える」というマダリアーガの言葉を引用していたことについてだった。
 しかしマダリアーガがどの本の中でそんなことを言ったのか、実はまだ確かめないままにしてきた。いちばん言いそうな『情熱の構造』の中でないことだけは確かなのだが。
 いや、ともかく新年が始まったわけだ。月並みだが、どーかいい年でありますように。みんな健康で病気をしないようーに。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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