まるで木偶

このところずーっと原発関係、とりわけ枝野官房長官や保安院、そして東電の記者会見を見ないようにしてきた。風の噂では、三者一体となった統一記者会見になったとかならないとか、それさえ確かめることもなく今日に至っている。理由はごく簡単、精神衛生上悪いからである。だいいち、何号機の冷却水が減ったとか減らないとか、何号機の何とかが破損しているか破損していないか、などに一喜一憂していたらこちらの身が持たない。お前たちにすべて任せるから、命がけで一刻も早く終息をはからっしゃい、と言うしか他に方法がないからだ。
 だから今日、お昼近く、通りすがりに(廊下から自分の机にたどり着くには妻が見たり見なかったりしているテレビの前を通るしかない)見たテレビの画面に思わず立ちどまってしまったのは良かったのか悪かったのか。いや結論から言えば、実に良かったのである。以前、そのときもたまたま見たテレビ画面で、あの双葉町のおばあさんを目撃したが、今日も国家権力に対して毅然として立ち向かう楢葉町の一人のおばさんを見ることになったからである。途中からなので事情はよく分からないが、98歳の寝たきり老人の娘さんらしい。つまりその親の面倒をみるため20キロ圏外に出て買い物をして届けるところだったか、あるいは一緒に暮しているのか、その点もはっきりしなかったが、ともかく検問所で警官と渡り合っている場面が映し出されていたのである。彼女は激昂するでもなく哀願するでもなく、助手席からきっと相手を見据えながら、「あなたはそれでも人間ですか、血が流れているんですか、もうすぐ死ぬかも分からぬ老人を見棄てろ、と言うんですか」と凛とした態度で話しかけていた。それに対する警官の答えは聞こえなかったが、ともかく規則一点張りの応対しかしていなかったことは明らかだ。
 ただ今回は、一人の町議が一肌脱いで、町から通行許可証を獲得してくれた。ところがまたもや検問所では、その許可証に日付が記載されてないとかなんとか難癖をつけ始めた。どこの警官だったろう、もしかしてまたもや京都府警?
 私自身は、いつもはいわゆる日本人の美質とか美徳にあまり関心がないというか、おそらくそれは、それに付随しての国家主義的な、あるいは国粋主義的な主張への反感からか、めったなことで称揚することはないが、そのとき唐突に「惻隠の情」という言葉を、そして実際には見たことも読んだこともない歌舞伎十八番「勧進帳」安宅の関の場面を連想した。つまり源義経の一行が、奥州へ逃げる途中、加賀国安宅の関(現在の石川県小松市)で、山伏姿ながら身元が割れそうになったとき、関守の富樫左衛門が惻隠の情に動かされて一行を見逃す場面である。
 先日も言ったことだが、こうした場面で、おのれ自身の判断で、時におのれの立場が危うくなることを承知してまで、正しいと思ったことあえて行なう人間がいるかいないか、これこそそうした人間を育てた民族の成熟度を示す証であろう。その警官自身が通行を許可することは正しいことではない、と納得しての行為だとしたら、話はまた別であるが、この場合はそれ以前、つまり「自分の目で見、自分の頭で考え、そして自分の心で感じ」ることなく、まるで警官人形(木偶といういい言葉がある)のように門を閉ざしていたとしか思えない。
 ついでに言わせてもらうと、最近やたらとテレビのコマーシャルで「心からご同情申し上げます」というフレーズが聞こえてくる。本当かい? もしそうでなかったら、「心」という美しい言葉を気安く使わないでくれないか。
 ともあれ、双葉のおばあちゃんの名前は知ることはできなかったが、今回は急いで手元の紙にしっかり記録した。おばさんは伊藤巨子さん(62歳)、町議は松本喜一さんという。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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