これまでは書くことがなくなると、よくばっぱさんを登場させたものだ。わが親ながら、実に面白いキャラクターをしている(持っている?)から、話題は尽きなかった。しかしそのばっぱさんは、いま遠い十和田市にいる。最初は特別養護老人ホーム、次に有料老人ホームに。しかし詳しくは知らないが、そこはどうも扱いがいささか乱暴なところだったようで、体調を崩して(長旅の疲れもあるが)入院したあと、今度は扱いがていねいな(?)施設に移ったそうだ。このひと月ちょっとの間に三回も場所を変えたことになる。ちょっと可哀相にも思うが、しかし今回の大震災では、もっと可哀相な老人がいっぱいいるので、文句は言えない。
ところでそのばっぱさん、私としては、文章の中でさんざん揶揄し、ときには手ひどくこき下ろしたつもりだが、読んでくださる方の中にばっぱさんのフアンが少なからずいたのは意外であった。私の扱い方の中にもばっぱっさんに対する愛情みたいなものがいつのまにか滲み出ていたから、と思いたいが、いやそうではなく、彼女がもともと持っている人間的魅力が書き手の意に反して表れ出たということだろう。
いや言いたかったのは、そんな重宝な助っ人がほしくなるほど、平穏な日常が戻ってきたのかな、ということだ。しかし外出の度に、家の近くには、「遺留品縦覧会場→」というポスターが数箇所貼られているのを嫌でも眼にしなければならない。つまり津波にさらわれた人たちの遺留品ということだろう。矢印をたどってみたことはないが、おそらく近くの小さな体育館、ふだんは剣道場に使われている建物ではなかろうか。
車はひところに比べるとずいぶん増えてきたが、歩いている人の姿はまだあまり見られない。そしてどこから派遣されてきたのか、自衛隊のジープやトラックが行き交っている。この連休中、大勢のボランティアが瓦礫や泥の掻き出しをしてくれたそうだ。要するに平和な日常はまだまだ戻ってきていないということ。
お気づきの方もいると思うが、三月十七日以降、このブログを一日も欠かさず書き続けてきた。それには多くの人の励ましがあったからだが、しかし平和な日常到来はまだまだとしても、正直に言えば、私の中では何かが終わった感じがしている。毎日環境放射能測定値をチェックしていたのは、なぜかはるか遠い日々のことのように思われる。(いま久し振りに測定値を調べてみた。零時現在0.50マイクロシーベルトと出ている。ずーっと0.5台を推移しているようだ)。
回りくどい言い方をしてしまったが、要するにこれまでは広場の壁新聞よろしく、いつも背後にたくさんの人の目を強く意識して書いてきたが、もうそろそろその段階は終わりかけているのではないか、と感じ始めているということだ。つまりモノディアロゴスの本来のあり方、その都度書きたいことを書きたいように書いていく、内向するということではないが、とりあえずは自分の内面に忠実に書いていく。
あゝしかし、たくさん善意の眼を感じながら書いてきたこれらの日々、その快感(?)を簡単に手放すことなどできるか? 正直揺れ動いてます。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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