夢のまた夢

たまたま見たテレビ画面に、何度か見かけた(やはりテレビ画面で)小柄で頭の禿げた男(これはたんなる容貌描写で悪意はありません)が総理官邸を訪ねる姿が映っている。わが町の市長さんである。なにごとかと見ていると、緊急時避難準備区域内に、飯舘村あたりと同じ放射線量の計測された土地が見つかり、そこの住民をどうすべきか指示を仰ぎに行ったらしい。ほうそうかいな、と見終わったが、しかしなにか釈然としないものが残る。
 つまり同心円の線引きそのものがもはや現実を反映していないのはだれの目にも明らかで、その見直しを強く求めるための総理訪問なら話が分かるが、それにはまったく触れずに、新たに見つかった放射線の高い地域の扱いについてだけお伺いを立てるのが分からないのだ。実際にその地域で線量が高いなら、そこの住民の意向を聞いたうえで避難か残留を決めさせたらいいのに(そんなことくらい現場の行政長の判断に任せたらいい)、せっかく上京しての総理との指しの交渉で、線引きそのものの見直しを迫らないのはなんとしてもおかしい。
 ところでうちのばっぱさんは、事態が収束してもたぶん十和田からは戻らないと思うが(兄の転勤などで十和田にいる理由がなくなったときは別だが)、ときどき国見の郷のおばあちゃんたちのことを思い出す。隣町の霊山の施設に引き取られていったおばあちゃんたちだ。ところが最近のモニタリングで、その霊山そのものが飯舘村と同じくらい線量が高いことが分かった。つまり南相馬から霊山に移した合理的な理由が無くなった。なのに南相馬市への縛りはまったく見直されないままである。
 住民の八割は戻ってきているので、スタッフの確保はそうむつかしくはないはずだ。食料など物資の調達も問題ない。なのになぜ再開しないのか。簡単に言えば国からの補助金が絡んでいるからだろう。実状に合わない通達がなぜこれほどまでの拘束力を発揮できるのか、と言えばひとえに金が絡んでいるからである。 
 南相馬のことを心配してくださる全国の皆さんには申しわけないが、聞くところによれば国からの補助金などをめぐって、一部住民のあいだに不満がくすぶっている。私の知っている或る人は鹿島区に住んでいるが、地震・津波で家は半壊したため避難生活を余儀なくされたが、あの30キロラインの少し外に位置していたため、東電の賠償金がもらえないとか、私から見ても不公平でお気の毒なケースがある。
 国民から巻き上げた上納金が、国民の実情に合った使われ方がされないばかりか、そのことが国民の生活を逼迫させているとしたら、民主政治はどこにある。それじゃ独裁国家の圧政とどこが違う?
 しかし何度でも言うが、いまは戦時下、県なり市の長が、実情にあった賢明な行政を行なう絶好のチャンスなのに、この期に及んでもなお、愚かな中央政府への「陳情」しか思いつかないとしたら、地方分権などいつまでたっても夢のまた夢であろう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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夢のまた夢 への1件のコメント

  1. 宮城奈々絵 のコメント:

    先生、なんて今日のblogは(今日も、です!)自分にピッタリな話かと思いました。本日、私は市議会なるものに初傍聴して参りました。最初の市議の方の質問事項が、今回の震災と原発人災に対する市政の対応と今後について問うものだったからです。
    結論から申しますと、このような方々が行政を担っているなら、それは復興も対応も遅い訳だ!と思った次第です(私の住む市は地震による液状化被害があり、原発避難者も130世帯転入あります)。正直、今は真実正念場を迎えていると思います。そのような状況に対して、行政の方々の熱意や焦りや不安、やる気、全く感じなかったです。答弁してますが、答弁してないのと同じ、中身が無い答えの数々にがっかりしました。市政において市民を守る気もリードする気も無いならば、国政も推して知るべしかな、と思いました。
    答弁の先にある守るべき市民の顔々、生命、人生 を浮かべてない…。それくらい、声を聞けば判るんですけどね、と思いました。
    これからは、市政、県政、国政、と広い目を持って見ていこうと思いました。

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