今まで取材を受けるときでも、すべて私たち夫婦のきったなーい居間にお迎えしていた。それは夫婦にとって大震災発生時の状況を分かっていただく「現場」だし、ふだんの生活空間でもあるからだ。しかし今日のこのものすごい暑さで、二階はサウナ風呂状態。さすがに今日は客人を迎えるのは無理。幸い新棟の一階居間には古いながらエアコンがあるので、まず美子を午前中そこに避難させた。
今日の取材は、先日このブログのコメント欄で挨拶いただいたジャーナリストでスペインTVのプロデゥーサー、ゴンサロ・ロブレードさん。といってインタビューはスペイン語ではなく日本語で。つまり彼は何十年も日本や中国に住んでおられるので、日本語が堪能。途中から、氏の取材期間中、いろいろとガイド役をしてくれる西内さんも交えていろんなことを話し合った。ただし本番というか撮影は明日、今日はその準備なのだが、そんなことにおかまいなく、実にいろんなことを話し合った。
完成時にはスペイン国営放送で放送されるその番組がどういう「物語」を持つのか、私たちには謎だがそれだけに興味がある。いずれにせよ、南相馬がスペイン語圏に紹介されるのは初めてではなかろうか。これからの若い世代が、自分たちはスペイン語圏の人たちにも関心を持たれていると意識することは、彼等が広く世界に目を向けるきっかけとなるはずで実に意義あることなのだ。
ところで今「物語」という言葉を使ったが、先日のライフの話につながっている。つまりライフ、以前トントというスペイン語を覚えていただいたついでに、今回はビーダ(vida)というスペイン語を覚えていただこうか。ヴィーダではなくビーダ。つまりスペイン語にはBとVの区別がなく、VもBの発音となる。時々文豪セルバンテスをセルヴァンテスなどと表記する人がいるが、あれは間違い。ともかく言いたかったことはビーダには生物学的な(biologica)ビーダと伝記的な(biografica)ビーダがあり、人間にとって本質的なのはもちろん人生、つまり伝記的なビーダである。
物語とビーダの関係はもうお分かりと思う。つまり人間が生きるということは、ウナムーノという思想家によればおのれの小説を書くこと、つまりおのれの物語を作ることなのだ。個人レベルでも言えることは、町のレベルでも、国のレベルでも言える。つまりこの南相馬の真の復興は、たんに経済的な復興ではなく、町の物語を創出することなのだ。もしも私に小説家の才能と素質があれば、大震災後に少年期そして青年期を迎える一人の少年あるいは少女の物語を書くであろう。それが町の経済的復興よりはるかに重要な、つまり内面からの復興に繋がるからだ。
どの国、どの歴史も国造りの物語から始まっている。小さい頃、私のバイブルは下村湖人の『次郎物語』であった。そういえば昔、「理想的人間像」が教育界のみならず広く国民的な関心事になったことがある。しかしいつの間にか話題にもならなくなった。それはその像があまりにも理想的(ちなみに観念的も同じく英語では ideal となる)、つまり肉と骨を備えた(これもウナムーノの表現)具体的な人間像ではなかったからであろう。
その意味では昔の「修身」の教科書は、と言って見たわけではないが、具体的な人間像を提示するという点ではなかなか理にかなっていたわけだ。しかしたとば楠木正成など、或る独善的で偏狭な国家イデオロギーに沿って選ばれたストーリーだったという意味では、それこそ偏向していた。
ロブレードさんの今回の取材の意図は、この町に育った若者たちが、十年後、二十年後に、この記録映像を見て、あゝ自分たちはこういう経験の中でこういう道筋を生きてきたんだと分かるような映像にしたいとのこと、つまりそこに自分たちの人生の「物語」を読み取れる作品にしたいとのことである。その趣旨には双手を挙げて賛成したい。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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