古本の終着駅

先月、帯広の叔父が従弟と十和田を訪れた際、それまで自分のアパートに置いていた祖父幾太郎の蔵書を十和田に持っていくから、ついでのときにでも十和田から受けとって欲しいと連絡があった。その蔵書というものが、一昨日、息子たちの車に載せられてやってきた。大きな段ボールに入ったおよそ30冊くらいの古本である。この場合、古本はフルホンとは呼ばずにコホンと呼んでもらいたい。本当に古いもので、初め埃及(エジプト)の王墓の中から発掘されたパピルス本かと思ったほどだ(まさか)。
 コホンと呼んでもらったのは、古いだけでなく積年の埃がうっすらと本を覆っているので、静かに取り上げないと立ち昇る埃でコホンと咳が出そうだからだ。だからこの猛暑の最中、全巻を取り出して「貞房文庫」に登録したり、必要な補修作業を敢行する勇気が出ない。いずれ時間を見つけて、ゆっくり作業をするつもり。
 これらコホンが帯広から十和田、そして今度は相馬へと運んでもらったことを迷惑に思っているわけでは決してありません。祖父幾太郎の遺品をこれまで大切に保管してくれたうえ、最終的な落ち着き先として、甥の私めを選んでくれたことを実に光栄に思っていることには変わりがありません。ただこの暑さで……
 で、今日はとりあえずそのうちの一冊をご紹介しようと思う。それもこの叔父と深い因縁のある一冊を。それというのは徳富健次郎の『思い出の記』である。たぶんもう原形はとどめておらず、こよりで綴じられた五六七ページほどの本である。発行は明治三十七年、第十八版、発行所は民友社。井上蔵書の印が押されているから、安藤家へ祖父が婿入りする前に購入したものか。
 叔父の名はまさにこの徳富健次郎(徳富蘆花の本名)から採られたのは言うまでもない。叔父は次男で、長男は誠一郎、三男は平三郎、四男は永治と、彼以外に文学者の名前はないが、どういうわけか祖父はこの叔父に、自分の愛読していた小説家の名前をつけたわけだ。そんな性癖は、もしかすると自分の息子と娘(双子)に石川淳と中島敦の名をつけた私の中にも伝わっているのかも知れない。
 ところで蘆花の小説中、私自身が読んだのは、『自然と人生』だけだと思う。だからこの機会に、この古色蒼然としたコホンで『思い出の記』を読んでみようかな、と思っている。もちろんこの暑さが遠のいたらの話だが。
 さて、明朝、孫たちが三泊四日の滞在を終えて十和田に帰っていく。たぶん雪の季節になる前に、もう一度帰ってくるだろう。それにしても、今は暑いからいいようなものの、訪れの早い東北の秋が来るころ、初めての十和田で心細い思いをするのでは、と今からちょっぴり心配している。
 ばっぱさんは、このごろ私のことを完全に幼名の「たーちゃん」で思い出しているらしい。美子さんとたーちゃんは元気にしてっか、屋根を直したんだって、よかったよかった。
 明日は六時出発なので、見送らないから元気で出発しなさい、と二階居間の老夫婦を訪ねてきた頴美と愛を今しがた送り出したところ。以前の美子なら、こんなとき大いに淋しがるはずだけれど、幸いなことにそうした気配はない。状況をよくは理解していないようだ。ともかく明日からはまた、老夫婦だけの静かな日常に戻る。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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