スマート・シティー?

夕食後、いつもの明るーい声で帯広の叔父が電話を掛けてきた。今テレビで、相馬市がアメリカの会社と提携して太陽光発電システムを導入する計画を進めている、という。急いでテレビを点けてみた。スマート・シティーとかいう会社がIT技術と太陽光発電を組み合わせて町ぐるみコントロールするシステムを導入するという話である。見ているうち、それはなにもアメリカの会社だけではなく、日立も、韓国の企業も、正に各国の有名企業がいま鎬(をしのぎ)削っている新しいビジネス・チャンスであることが分かってきた。つまり何のことはない、そうした新しいシステムを町ぐるみ導入するには、従来の電力供給システムが壊滅状態となった被災地こそ正に格好の実験場になるというわけだ。
 画面にはチェジュ島で実験的に進められている新しい町づくりの現状が映し出される。太陽光パネルなど無償で備えつけられた家庭の主婦が得々と説明している。つまり電力使用がピーク時になると、家庭のエアコンなどが自動的に制限されるので、各家庭でいちいち温度設定や変える必要がないらしい。もちろん蓄電設備も完備しているので、町中が大停電になる危険は自動的に回避されるわけだ。
 でも見ているうち、なんだか馬鹿らしく、いや恐ろしくさえ思えてきた。原発事故の恐怖をまぬがれたと思ったら、今度は家庭の電力事情までこと細かにコントロールされる世界、快適は快適だが、そして放射能事故の危険はないかも知れないが、代わって生活のすべてがどこかから監視されコントロールされるという、余りにも無駄がなく効率的な生活、それこそゴミ一つない快適な生活、まるで雑誌のカラー写真から抜け出てきたような豊かな生活。
 被災地の復興や雇用事情の回復などのためには願ってもない話だろう。しかしあれだけの代償を払って得られるのが、ただただ快適な生活だけだとしたら……贅沢を言うでないとお叱りを受けるかもしれないけど、でもなあ、日常生活までもが、東電に取って代わったHITACHIやSHARP、あるいはアメリカの新興企業にコントロールされるのは、なにかいやだなあー。
 いや反対はしないよ。ともかく企業誘致は地元の経済復興にとっては願ってもないことだし、地元の人の雇用もとうぜん増えるわけだし…
 もちろん私はアーミッシュのように時代に背を向けて生きよう、なんていうわけじゃないけど、でも他力じゃなく自力で自分の人生を切り開いていくという大切な課題が、また見えなくなってしまうのでは、と心配だなー。
 少なくとも私は、この大震災・大事故で得た教訓、つまり新しい世界観・価値観を忘れず、残された時間の中で何とかそれを実践していきたい、いや実践しなければいけないと思っている。要するに、真の復興は、まず私たちの心の中から為されなければならない。新しい家族のあり方、非常時にあって、いや正にそのときこそ互いに助け合う地域社会のあり方、市民と行政が、そして究極的には個人と国が互いを尊重し合う社会をどうすれば構築できるか。この難問に真剣に立ち向かわなければ、真の復興はありえないと思うからである。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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スマート・シティー? への1件のコメント

  1. 野中 けい子 のコメント:

    先日は拙文にお心を煩わせ、又お励ましを頂き、恐縮に存じています。
    お詫びとお礼に情報をひとつ。すでにご存知??かと心配しながら~~。
    今日渋谷で〔チェルノブイリ・ハート〕を観てきました。
    かのナジム ヒクメットの《生きることについて》という詩から始まるドキュメントです。(あしたが消える) (はだしのゲンが見たヒロシマ)の後にいかがでしょう。
    「生きることについて」 ナジム、ヒクメット(詩人1902~63)

               生きると言うことは笑いごとではない
              あなたは大真面目に生きなくてはならない

                     たとえば
             生きること以外に何も求めないリスのように
             生きることを自分の職業にしなくてはいけない

               生きることは笑いごとではない
            あなたはそれを大真面目にとらえなくてはならない

                     大真面目とは
           生きることがいちばんリアルで美しいと分かっているくせに
                 他人のために死ねるくらいの
             顔を見たことのない人のためにさえ死ねるくらいの
                   深い真面目さのことだ

              真面目に生きると言うことはこういうことだ

           たとえば人は七十歳になってもオリーブの苗を植える
              しかもそれは 子供たちのためでもない

               つまりは死を恐れようが信じまいが
                生きることの方が重大だからだ

                この地球はやがて冷たくなる
                 星のひとつでしかも最も小さい星  地球
                青いビロードの上に光り輝く一粒の塵
                     それがつまり
                 われらの偉大なる星  地球だ

                 この地球はいつの日か冷たくなる
                     氷塊のようにではなく
                ましてや死んだ雲のようにでもなく
              クルミの殻のようにコロコロと転がるだろう
                    漆黒の宇宙空間へ

                そのことをいま 嘆かなくてはならない
                その悲しみいま 感じなくていけない
               あなたが「自分は生きた」と言うつもりなら
               このくらい世界は愛されなくてはいけない

         ***奢るものは久しからず、人類の滅亡は自明のこと。
        でも[今]をまじめに生きようと 努力するしかないのでしょう~~。

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