生の理法に立ち返れ

今年も間もなく9.11がやってくる。早いもので、と言ったらいいのか、それともやっとと言ったらいいのか、今年はその十年目に当たる。いやそんなことより、われわれにとって今年は特別な意味を持つ。なぜなら3.11の前と後で、9.11の意味は大きく変化しているはずだからだ。
 もちろん一方はテロ事件であり、他方は大震災そして原発事故であり、単純な比較はできないであろう。しかし両者とも予想外のものとは言いながら、しかし深く透徹した賢者の眼差しの先にしっかり予想されていた事態であったことは間違いない。
 9.11をいつもと変わらぬ平凡な一日で終わらせないためにも、今日から少しずつ考えて行くことにしよう。まず最初に、私自身が求められて書いた十年前の短い文章全文をご紹介して一つの足がかりにしたい。「生の理法」などという耳慣れない言葉については、追々説明するつもりである。

 生の理法に立ち返れ

 昨年九月十一日、アメリカで起こった同時多発テロ事件のあと、世界は急速にきな臭い方向に向かっている。世間は(とひとまず言うしかないが)アメリカ主導のこの対テロ戦争がどこかおかしいのではと自信なげにつぶやいてはみるが、「お前はテロに賛成なのか」と反論されることを極度に恐れて、そもそもの発端で何が間違っていたかを明確に指摘できないまま、ここまで来てしまった。デージーカッターとかいうふざけた名前の大量殺戮爆弾を昨日までほしいままに炸裂させておいて、さて今日は復興のための国際会議だというそのあまりの身勝手さに異を唱えることもしない。
 過去にノーベル平和賞を受けた人たちの間にも、アメリカの姿勢を是とする者が半数近くいることをテレビで知って愕然とした。そんなとき、求められてオルテガ『大衆の反逆』(寺田和夫訳、中公クラシックス)の解説を書いた。約七十年以上も前に書かれたオルテガの警鐘が時代遅れどころか、今こそまさに傾聴すべき見解であることに驚いた。世界平和のためには何が必要か、という気の遠くなるような難問に誠実に答えようとする前に、まずもって直接行動に走るこの大衆化社会の覇者アメリカには、言葉の真の意味でのモラルが欠落している。オルテガも言うように真の問題は、政治にかぎらず今世界のあらゆる領域・場面で幅を利かせ始めたこの「大衆人たち」のアモラル(無道徳)な心性なのだ
 それは非道徳や反道徳よりはるかに恐ろしい。なぜならそれは生を内部から蚕食する病だからだ。この病から癒えるためには何が必要か。外から、あるいは上からの道徳性の注入か。絶対にそうではない。まさに生そのものの内部から発する生の理法、すなわち「私は私と私の環境である」というオルテガのメッセージに内在する理法に謙虚に耳を傾けることである。私のすべての環境、なかでも人的環境とも言うべき「他者」を理解し愛し慈しむことによってしか真の平和はやってこない。なぜならオルテガが先の言葉にすぐ続けているように「もしこの環境を救わなければ私の救いもない」からである。
 「己れの生命を犠牲にしてまで守るべき主義主張あるいは信念があってもいい。しかしそのために他人の生命を犠牲にしてまで守るべき主義主張や信念などあっていいはずがない」
これが現代と同じく狂信と戦乱の世であった十六世紀ヨーロッパを考え続けてきた私自身のたどりついた一つの信念である。

          (「京都フォーラム」アンケートへの回答、二〇〇二年)

https://monodialogos.com/archives/379
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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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生の理法に立ち返れ への1件のコメント

  1. 松下 伸 のコメント:

    不思議があります。
    カダフィもフセインも、日本の東条英機も
    若い人達に死の愛国心を強制した人々
    その最後は、自らの言葉とは、どう関わるのか
    ちぐはぐ・・では?
    「貴きは別格」と、知識ある人は言い繕います。
    歴史や法律を総動員して説明されると、
    「そんなものか・・」と妙に納得もしたりします。

    昔、南米チリに、アジェンデと言う大統領がいました。
    軍のクーデターに際し、自らの主義主張のため、
    大統領府にこもって最後まで戦い、殉じました。

    指導者はどんな最後を選ぶべきか?
    なんとも、今の私には分かりません。
    「生きたい」、「死にたくない」、「誰か助けてくれ」・・・
    これらは、ほんと、人の本音でしょう。
    カダフィさんも、フセインさんも、そしてわが東条さんも・・

    指導者の最後。
    まったく、ご自身の自由、と思います。
    でも、この自由って、指導者の言葉を信じて散った
    多くの若い人には断じて許されなかった・・のか

    何度捨てられても、すぐに家に戻ってしまう
    姥捨山のお婆ちゃんが好きです。
    のた打ち回って、「生きたい!」と叫ぶ人生、
    悪いとは思いません。
    私は、人の上に立つ、指導者でなかったことを、
    心より感謝しております。
                          塵(禿)

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