このごろ夕食のとき少量のアルコールを飲むようにしている。このごろ、と言ったわけは、美子の認知症が進みだしたころからかなりの期間アルコールを控えていたからである。以前は、夕食には夫婦で必ず飲んでいた。正確に言うと私の方が美子のお相伴をしていた。この夫婦、アルコール禁止のイスラム圏では絶対に生きられなかったはずである。
長らく中断していたのに、また飲むようになったのは、認知症になっても美子は相変わらずお酒が好きなことが分かったからである。飲ませると間違いなく笑顔になる。と言っても350ccの缶ビールを二人で分ける程度の量である。ビールでないときは、焼酎のお湯割りであったり、日本酒であったりする。大瓶のビールを開けると、残すわけにいかずに飲み干すガ、そうなると美子をトイレに連れて行くときに苦労する。半分眠ってしまうからだ。
ところで最近もらいもののブドー酒が何本かたまったので、コルク栓開けを探したが、スクリューをねじ込むに連れて両翼が広がって、その両翼を畳むようにするとコルクが抜けてくるというオープナーがだいぶ前から片翼になってしまい、使い物にならない。かと言っていちばん簡単なオープナー(T字形の)は力が要るだけでなく途中曲がって、そのためコルクが割れて壜の中に落としてしまったりする。それで何かいいオープナーがないかアマゾンで探して注文したのが昨日とどいた。見かけはごくシンプルだが、ともかくスクリューを一方向に廻すだけでいいというのが気に入った。
宣伝文を紹介した方が手っ取り早いのでコピーする。
「魚のようなユニークなフォルムを持つワインオープナー、ツイスター。ボトルを挟み込んでグリップを回すだけでコルクを簡単に抜くことができる。2か所に設置されたゴムがワインボトルをがっちり押さえるため、女性やお年寄りでも余計な力を使うことなく開栓できる。
注ぎ口の径が違うワインボトルでも不自由なく扱えるのが特長。スクリューが真上からコルクに入る構造のため、斜めに入ってしまう心配もない。
個性的で美しいデザインと高い機能性を兼ね備えたワイングッズで有名な、オランダのバキュ・バン社製。1980円」
いちばん簡単な奴はサービスでただでももらえるのに、二千円はちと高いとも思えるが、無駄なところで(ムダ?ではないよなー)力を入れるのは、老人にはこたえる。ともかく、今日の夕食時に試してみた。ものすごく使いやすい。スクリューを右回転で廻していくだけなのに、おや!いつの間にかコルクが上がってくる。まるで魔法のよう。これならブドー酒十本くらい容易に開けることができる。
実は以上が今日ほんとうに言いたいことの前口上なのだ。いつものこととはいえ、申しわけない。さて昨日の午後のことである。西内君がいつもの通り差し入れを持ってきてくれたついでに、第四回『民芸屋の店先展』のチラシを持ってきた。11月1日から三日間、酩醸館二番蔵で、種々の手作り体験も出来、販売もされるという面白い企画である。そのチラシを見ながら、二人の老人は(なんて二人ともそうは思っていないが)妄想を互いに語り始めた。
手作りの小物、たとえば革製の財布とかキーホルダーもいいが、それらと一緒に相馬藩に関わる古書や民話集、南相馬にゆかりのある埴谷雄高や島尾敏雄などの本(古書)、いや店先にはなくともお客さんの希望の本をネットで取り寄せてあげたり…そう、ここでコルク・オープナーに話が繋がる。つまり若い人ならともかく、インターネットを使わない年齢層へのネットでの買い物を手伝ってやったり(わずかな手数料はもらうが)…。話はどんどんエスカレートしていった。
思い返せば、自分たちが高校生だったころ、映画館と本屋さんが世界への、そして知識や教養への入り口であった、現代いくらインターネットの時代になったとはいえ、それらが手触り確かな、そして温かな知識への魅力的な入り口であることには変わりがないはず。ところが今、いや震災前からそうであったが、本屋は次々と閉店、棚にならぶ魅力的な書名の本を手にとって吟味する贅沢はもはや味わえない時代になってしまった。町に一店でもいい、回転は速いがチューインガム並みに個性のない本ではなく、小規模ながら店主の個性が際立つような書名が並ぶ本屋を再現できないものか。
いやなにもインターネット時代から背を向けるわけではない。むしろ「いいとこ取り」の積極的な利用は推進する。たとえばこれまでインターネットに近づくチャンスがなかった年齢層に対して、インターネット利用の手引きが出来る若い人材を仲間に入れて、利用者へのサービス(パソコンの設置やそのアフターケアなど)をその店を拠点にして展開する。もちろん無償と言うわけにもいくまいが、利用者がある程度できれば、その人たちから低額の手数料をいただいて、まあまあ生活が出来るようになるまで皆で後押ししてやる。
さらにはこの町にもある、あるいはあった、様々な集まり相互間の連絡業務を請け負い、かくして個々のエネルギーを結集し、相互に協力して、年に一度くらい、それら全てのグループが一堂に会して発表したり展示する機会を作る。たとえば、従来からのスペイン語教室や小高浮舟会館でやっていた文学教室(現在中断している)とも連携する。
もちろんこれまでだって町の文化祭などあるにはあったが、それをもっと総合的なものに、そしてより生活に密着した形にする。つまりそれによってある程度の経済効果が出るように機能化させるといえばいいのか。つまりこの町の創造的活力をフュージョン(融合)させることと言えばいいのか。
さて前述のような活動の拠点とも言うべき小さな店を街中(まちなか)に作ることが出来るのか。数年前まで商工会議所に勤めていた西内君にはおそらく既にある程度の目算はあるのであろう。そしてそんな店の一隅には、郷土史や詩集や、そしてもちろん富士貞房の私家本も並べてほしいものだ。考えてみれば、これは高校生を主力メンバーとして始めたはよいが、途中みごと空中分解したままのあのメディオス・クラブの装い新たな再建とも言えよう。