島尾敏雄はその小説の随所で「もっと真夏の暑さを!」と叫んでいるイメージが強いが、このところ時おりの薄日以外、どんよりと曇った薄ら寒い日が続いている。毎年の冬もこんなものなのだろうが、今年はなぜかひとしお陽が恋しいし、寒さが老躯にまともに応えている。ともかくあっという間に一日が終わってしまう。
だから昨日も、留守電に二つも来信があったことに夜の十一時ごろ初めて気がついた。留守電にしていたことさえ忘れていたのである。一つは一週間の検査入院から無事帰宅した西内君からのもの。もう一つはいつも車の世話をしてくれている遠藤君からのものであった。福祉車両が届いたとの連絡である。
遅いとは思ったが、西内君にかけてみた。すると検査だけでなく内視鏡を使っての手術まで受けたそうである。そんなことを聞きながら、実はどんな病気かさえ未だにはっきりとは知らないのだ。恩人なのに申し分けないが、敢えて聞き返すこともなく今日に至っている。ともかく手術が成功して、おめでたいことだ。
さて今日、その車がとうとう我が家にやってきた。セレナ(パーソナルチェアキャブ、スロープタイプ)という車である。つまり車椅子を後部から載せれるやつ。ワイヤレス・リモコンで車高が低くなり、スロープが出てくる。中学時代の同級生の尽力で、中古で35万円というお得な買い物をした。これで美子を散歩に連れて行ける。
その散歩のことだが、夜、息子夫婦の助けを借りて美子をトイレに連れて行こうとしていたら、ヴィオラの川口さんから電話。出てみると、とうとう菅さんが「夜の森公園だよ」というヴィオラの曲を作ったので、五分後に電話口で演奏してみるが聞いてほしい、と言う。もちろんこの方が優先。
約束通り五分後にかかってきた電話で、新曲を聞いた。「嗚呼、八木沢峠」がスペイン風だとすれば、これはまたがらりと変わって純日本風のゆったりしたメロディーである。菅さんはこれを、南部牛追い歌を頭に置きながら、私が美子を再び夜の森公園に連れて行く様子をイメージして作曲したという。川口さんが南部牛追い歌を演奏すると、被災者は間違いなく涙するというが(この私も例外ではなかった)、少なくともこの私には、桜の咲き始めから、新緑の季節、真夏、そして紅葉の季節と何度も美子と足を運んだ公園のその時々の光景が頭に蘇って、懐かしさと悔しさのあまり泣けてくる。
それにしても二つも曲を作ってもらうなんて、考えてもいなかったことで、恥ずかしさよりもかたじけなさで身の置き所がない感じだ。ともあれ、今はまだ試作の段階で、そのうちまた皆さんにご披露するときが来るであろう。乞うご期待。
ところで震災以後、千客万来であった二階での生活も、いよいよ今夜が最後となりそうだ。二階での生活が限界に来たからだ。ちょうど明日の午前中、入浴ケアを受けたあと、美子は車椅子に、そして他の三人(私と息子夫婦)は寝室のベッドを解体して階下に運びいれる大仕事が待っている。ただしマットは階段を使って運ぶのは無理で、二階のベランダから下ろすしかないだろう。テレビやパソコン、そして机その他、これまで書斎代わりに使ってきたいろんなものをどう配置するか、実はまだ何も決めていない。ともかく寝床を確保した上で、徐々に身辺を整理していくしかないであろう。
-
※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
キーワード検索
投稿アーカイブ
-
最近の投稿
- 再掲「双面の神」(2011年8月7日執筆) 2022年8月25日
- 入院前日の言葉(2018年12月16日主日) 2022年8月16日
- 1968年の祝電 2022年6月6日
- 青山学院大学英文学会会報(1966年) 2022年4月27日
- 再掲「ルールに則ったクリーンな戦争?」(2004年5月6日執筆) 2022年4月6日
- 『或る聖書』をめぐって(2009年執筆) 2022年4月3日
- 【ご報告】家族、無事でおります 2022年3月17日
- 【3月12日再放送予定】アーカイブス 私にとっての3・11 「フクシマを歩いて」 2022年3月10日
- 『情熱の哲学 ウナムーノと「生」の闘い』 2021年10月15日
- 東京新聞コラム「筆洗」に訳業関連記事(岩波書店公式ツイッターより) 2021年9月10日
- 82歳の誕生日 2021年8月31日
- 思いがけない出逢い 2021年8月12日
- 1965年4月26日の日記 2021年6月23日
- 修道日記(1961-1967) 2021年6月1日
- オルテガ誕生日 2021年5月9日
- 再掲「〈紡ぐ〉ということ」 2021年4月29日
- ある追悼記事 2021年3月22日
- かけがえのない1ページ 2021年3月13日
- 新著のご案内 2021年3月2日
- この日は実質父の最後の日 2020年12月18日
- いのちの初夜 2020年12月14日
- 母は喜寿を迎えました 2020年12月9日
- 新著のご紹介 2020年10月31日
- 島尾敏雄との距離(『青銅時代』島尾敏雄追悼)(1987年11月) 2020年10月20日
- フアン・ルイス・ビベス 2020年10月18日
- 宇野重規先生に感謝 2020年9月29日
- 保護中: 2011年10月24日付の父のメール 2020年9月25日
- 浜田陽太郎さん (朝日新聞編集委員) の御高著刊行のご案内 2020年9月24日
- 【再録】渡辺一夫と大江健三郎(2015年7月4日) 2020年9月15日
- 村上陽一郎先生 2020年8月28日
- 朝日新聞掲載記事(東京本社版2020年6月3日付夕刊2面) 2020年6月4日
- La última carta 2020年5月23日
- 岩波文庫・オルテガ『大衆の反逆』新訳・完全版 2020年3月12日
- ¡Feliz Navidad! 2019年12月25日
- 教皇フランシスコと東日本大震災被災者との集いに参加 2019年11月27日
- 松本昌次さん 2019年10月24日
- 最後の大晦日 2019年9月28日
- 80歳の誕生日 2019年8月31日
- 常葉大学の皆様に深甚なる感謝 2019年8月11日
- 【再掲】焼き場に立つ少年(2017年8月9日) 2019年8月9日
- 今日で半年 2019年6月20日
- ある教え子の方より 2019年5月26日
- 私の薦めるこの一冊(2001年) 2019年5月15日
- 静岡時代 2019年5月9日
- 立野先生からの私信 2019年4月6日
- 鄭周河(チョン・ジュハ)さん写真展ブログ「奪われた野にも春は来るか」に追悼記事 2019年3月30日
- 北海道新聞岩本記者による追悼記事 2019年3月20日
- 柳美里さんからのお便り 2019年2月13日
- かつて父が語っていた言葉 2019年2月1日
- 朝日新聞編集委員・浜田陽太郎氏による追悼記事 2019年1月12日
- 【家族よりご報告】 2019年1月11日
- Nochebuena 2018年12月24日
- 明日、入院します 2018年12月16日
- しばしのお暇頂きます 2018年12月14日
澤井Jr.様
いつも温かなご声援ありがとうございます。昨日は初めて入浴ケア・サービスを経験しました。お恥ずかしい話、…ぶりの入浴で美子もさっぱりした顔で満足げでした。これまで一人で頑張って介護してきましたが、今後は息子たちにも介護のいくぶんかを分担してもらおうと思ってます。
ともあれ今年も残り少なくなりましたが、澤井ご一家にとっても良い意味で激動の一年でしたね。どうぞ年末・年始を、澤井ご一家だけでなく、ブログに集う他の皆様も、どうぞご健勝にお過ごしくださいますよう心から願っております。