別れではなく

不思議な時間が過ぎている。ばっぱさんが亡くなって五日経つが、目の前で死んだわけではないから、死んだという実感がないまま、しかし疑いもなく死んだことを認めざるを得ない、そんな宙ぶらりんのまま時間が過ぎて行く。
 今日の午後、くにみの郷にばっぱさんの荷物、つまり今となっては遺品、を取りに行った。午前中施設に電話してばっぱさんの死を報告し、午後荷物を取りに行くからと連絡しておいたのだ。年が明けてから戻る予定だからと連絡したままだったので、突然の死の報告に驚きもし残念がってもくれた。ばっぱさんが入っていた「なごみ」の棟は、この間来たときには閉鎖されたままだったが、現在は入所者も増えたのか再開していた。荷物はもとのままの部屋に準備されてあった。職員の方々に手伝ってもらって、布団やら大正琴などを中庭に止めておいた車まで運んだのだが、たまたま広間にいた顔なじみのおばあちゃん(一時霊山町の施設に移されていた)に、千代さんはもう帰ってこないの、と聞かれ返事に窮したが、なんとか誤魔化した。とても死んだとは言い出せなかった。
 荷物は意外に多く、先日換えたばかりの車でなかったら一度に運ぶのは無理であったろう。約四年ほどお世話になった施設。そういえばばっぱさん、ここが開設されたときからの入所者であった。以来、美子と雨の日も風の日も通った「我が家の離れ」。
 実はこうしているあいだも、十和田ではばっぱさんの葬送の儀式が今日と明日にかけて教会を中心に行われているはずである。先日、兄から通夜、葬儀ミサ、告別式などの日程を聞いてどこかにメモしたはずだが、そしてそれらの時間に合わせて、こちらでもせめて思いだけでも参加しようと思っていたのであるが、しかしここにきて、その気も失せた。簡単に言えば、そうした儀式に合わせてばっぱさんと別れを告げるのではなく、自分たちの流儀で、これからゆっくり時間をかけて(もしかすると、いや確実に自分たちが死ぬまで)ばっぱさんに別れを告げる、いやいやそうではない、ばっぱさんとともに生きていくことにしようと思っているのだ。
 たぶん明日も、毎日の雑事に追われながら日を送るであろう。ただ明日から当分の間は、それら雑事の中心は、車に載せたままの遺品の中から、ばっぱさんの手書きの歌集やらアルバムの整理となろう。つまり数年前に作ったばっぱさんの文集『虹の橋』の増補改定版の編集作業である。そしてこれこそがばっぱさんに対する私ならびに私の家族の通夜であり死者ミサであり告別式なのだ、と敢えて信じながら。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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別れではなく への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

    ともに生きていくと言う言葉に感動しました。先生の「宗教と文学」という著書の中で二度引用されているパンセの言葉を思い出します。われわれの信仰は感情にもとづかなければならない。そうでないといつもぐらついてしまう。(パンセ252)そして、先生は、何か非常に大切な真理を、われわれが失っている何かを教えているのではなかろうか、と結んでいます。大切なことは形式的なことではなく、自分の魂から湧出した心の在り方なんだと私は思います。愛読書の一つであるヒルティも同じようなことを言っています。

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