しっかりまじめにやりましょう

午後、北海道・上士幌の従弟から、昨年七月末、十和田市近郊奥入瀬のホテルで行われた、99歳になるばっぱさんと、同月同日生まれで94歳になる健次郎叔父の(そして六月に三歳になったばかりの愛のそれもついでに加えた)誕生パーティーの動画と、その折のばっぱさんの挨拶文が届いた。私の代わりに会に出てくださった■さんの姿も見える動画を見ているときはそうでもなかったが、ばっぱさんの今となっては最後の言葉となった挨拶文(従弟が書き取ってくれた)を読んでいるうち、とつぜん涙が溢れてきて自分でも驚いた。こんな言葉だ。

人は地位や身分に関係なく、心の底から人には親切にすること、大切な教えは外さないこと、それが大切だと思います。
皆さん、どうぞしっかりやりましょう。
今日の集まりは記念の集まりと思って、忘れないようにしましょう。
お料理も宿舎も清潔で、大きくて、広くて、美味しくて何よりのご馳走であったと思います。また、来年も来ましょう。
まじめにやりましょう。
体の健康のためにも、親のためにも、町のためにもなると思いますから、歳をとったからといって、年齢に [関係なく]、なんていうか理屈抜きに、教えはきちんと守って、隣近所の人と仲良くして生活することが第一かと思いますので、皆さん、来年も集まって会いましょう。
そしてまた新しい希望をもって、歳をとっても負けないように生きましょう。

 続いて10月22日、最後に会った時の忘れられない言葉として次の二つのメッセージも記されていた。

貧乏と病気には絶対に負けない。
100まで生きるぞ、100を越えても生きるぞ。

 2002年、私たち夫婦が帰郷して直ぐの夏、熱中症で担架に乗せられたばっぱさんに「がんばれ!」と声をかけると「あいよっ!」と巣頓狂な声で答えた時のことを思い出す。
 あまりの個性の強さ(?)に、あんたは死んでから惜しまれる人だど、とよく憎まれ口をたたいたけれど、今となっては死んで惜しまれなくてもいい、ともかく生きていてほしかった、せめて半年、100歳まで生きていてほしかった、と心から思う。
 やはり今日の午後、古い箪笥の引き出しを開けるとばっぱさんの上着が何着か出てきた。寒い今の時期、美子に着せるのにちょうどいい。そのうちの一つを羽織った美子を見ていると、ばっぱさんが今そこにいるような気がしてくる。忌々しい原発事故のおかげで最後の数ヶ月はばっぱさんの世話ができなかってけれど、その分美子の世話を「しっかり、まじめに」していこう、それがばっぱさんへの供養になると信じて。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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しっかりまじめにやりましょう への3件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

    「涙が溢れてきて自分でも驚いた」。敗残の兵士たちに、自分の可愛い子供たちを差し置いて西瓜を食べさせたお母様の話を思い出しました。先生が感動されたのは、お母様の日頃の言動と行動とが、いかなる状況の中でも全く変わらない「真実の人」だったからなんだと私は思いました。口では「親切」「思いやり」といくらでも並べられますが、自分の都合の良い時には出来るかもしれませんが、生涯を通じてそれを実行出来る人はいないと思います。先生の『大学の中で考えたこと』という著書の中で私が感動した文章があります。「『愛』や『思いやり』を口にしながら行動の伴わないことほど醜悪なことはありませんが、あなたは言葉より先に行為がありました。組織の中では、一見まっとうな、しかし内実は無責任で卑怯な『スジ論』が横行し、結果的には寒々しい非人間的な状況が現出することがあります。しかし、あなたはいつも、今ナニガ大切デ今何ガヒツヨウカを的確に判断し、それを実行しました。ですからあなたの周りには、常に人間的な温かさと信頼の気流が渦巻いていたのです」。これは先生の大学時代の友人のお別れの言葉として言われたものですが、先生が人間のどこに重きをおき、何を大切にされているかがわかります。そして、先生もお母様と同じように「真実な人」なんだと思います。

  2. 松下 伸 のコメント:

    先生・母上さまはじめ
    お二人のお話しを
    つつしんでお聞きしました。
    人の「あるべき」は、よく聞かされます。
    でも、本当は「人こそ」あるべきでは・・・?
    愚者にして臆病の私には、とても難しいですが
    たしかにそれを思わせる人が、時にいます。
                            梁塵
    追伸
    澤井さま。いつも加われず申し訳ありません。
    眼を休ませながらです。
    きびしい寒さ。皆さまお大事に。   

  3. 山本三朗 のコメント:

    I agree!英語は少々かじっただけですが納得した時や同意したい時はこのフレーズを心で叫ぶ習慣が私にはあります。言うだけでなく実際にそのように行動されてきたからこそ、千代バッパ様の言葉には重みを感じます。しっかりまじめに生きていきます。

    久しぶりの澤井さんの登場、嬉しく思います。30年ぶりの帰郷、再会そして初対面等を無事におえられたことに乾杯致します。

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