葉桜(その二)

昨日に続いて、またかつての散歩道に行ってみた。今日は新田川沿いの下水処理場の散歩道である。夜の森公園や御本陣より陽光が強いのか、桜は葉桜になりかけだった。今日は鴨の群れはいないのかな、そう思いながら川面を透かし見たら、コンクリートの堰の上に四、五羽、羽を休めていた。

 美子を連れて来るにはまだ肌寒い。もう少し暖かくなったら必ず連れて来よう。小道沿いにある事務所の二階の窓を見上げてみた。シャッターは上がっているが人の気配がない。以前、この窓の側のベランダから「先生!」と若い女性の声がして、声の主をたどると浮き船会館での文学講座に来ていた人だった。震災のあと、まだ職場復帰をしていないのかも知れない。

 葉桜で思い出した。このモノディアロゴスの初期、そう2003年にこんな文章を書いたのだった。読んだ人、ましてや覚えている人など皆無だろうから、以下にコピーしてみる。

葉 桜 

 今日も柔らかい午後の光の中を、櫻の花びらが風に舞う。もう六、七割がた散ってしまったろうか。葉桜、そうだ太宰治に確か葉桜のころを描いた短編があったはず。寝室の本棚を探すと、それぞれ三、四冊の太宰の文庫本を合本にした背革の三巻が見つかった。『新樹の言葉』という短編集の中の「葉桜と魔笛」がそれらしい。一度読んだのかも知れないが、いつものとおりすっかり内容を忘れている。ともかく短いので読んでみる。太宰の独壇場である女性の語りで物語りは構成されている。はるかな昔、彼女が二十、妹が十八の時の思い出話である。妹は不治の病で床に臥している。ある日、妹の恋人から来た手紙の束を見つけた姉が、つれなく去っていったその恋人に成り代わって妹当てに手紙を書く。妹の最後に花を添えるため。しかし実はその恋人自体が妹の作り上げた架空の恋人であったという悲しい話である。妹が死んでいくのがちょうど葉桜の季節。
 「見て、これ小さい時、お祭のときには必ず締めた帯よ」と妻が橙色 (昔は朱色か) を基調にした絹地に、櫻や水仙や紅葉などを配した三尺ほどの帯をどこからか見つけてきた。たぶん階下の未整理の箪笥から引っ張り出したのだろう。絹製ではあるがすっかり色褪せ、何かのしみも付いている。三、四歳のころに使っていたらしく、捨てるには未練があると言う。それでは、と今さっき読んでいた合本の表紙に切り取って貼ることにした。薄い布地なので、皺にならぬようにするにはかなりの技術が必要である。
 いや、もったいぶっても始まらない。ものの十五分程度、ちょちょいのちょいでできてしまった。初め見た時は汚らしい布切れだったものが、厚紙にきっちり貼り付けられたのを見ると、光の加減で花々が微妙な色合いを見せてくれる。かくして『新樹の言葉』、『ろまん燈籠』、『津軽』のちょっと趣きのある合本が出来上がった。
 ふと窓外を見ると、夕陽の中で小さな夫婦の蝶が風にたわむれ、また互いにたわむれている。まさかこの季節に、と思ったら、それは一本の蜘蛛の糸に絡まった二枚の花びらが微風に揺れて舞っているのである。視線を少し右にずらせば、夕映えの国見山の真上に鼠色の大きな雲がかかっており、もしかすると明日は天気が崩れるかも知れない。ここまで来たら、むしろ一思いに残った花びらもすべて雨に洗われたほうがいいかな、と思う。 

四月十九日


 これで見ると、2003年は今年より桜の開花も早かったようだ。今日、或る人へのメールにも書いたが、大震災や原発事故の後にも、自然はその寛大な歩みを豪も変えることなく、私たちに恵を与え続けている。ありがたい、かたじけない、そしてもったいない。

★緊急発信、大放出!
 だれも言わないので、自分から言いますが、「葉桜」なかなかいい文章でしょう? ええいっ、面倒だか思い切って言いますく。たまには古いモノディアロゴスも読んでください。いや中にはしっかり昔のものまで読んでくださる方がいることは知ってます。そういう方々の静かで力強い応援を糧に頑張って書いてます(私と美子のために、つまり自分たちのために書いているというのは本当ですが、でも数少ない熱心な方々のためにも書いてます)。でもはっきり言いますと、震災後の苦しかった日々、自分を叱咤激励しながら一枚一枚折って作ったあの400ページもある分厚い『モノディアロゴスⅤ』など、今日数えて見ましたら15冊も注文もなく溜まっていました。ネットで読まれるのもいいですが、本になったものはまた格別な味わいがあります。この際、実費などとケチ臭いことは言いません。この15冊に限り、送料分340円だけでお譲りします。郵便振替が面倒でしたら切手同封のお手紙ください。直ぐお送りします。それがお気に召したら、他のものも読んでみたくなるはずです。それを期待しての出血サービス…

 住所は〒975-****  福島県南相馬市原町区****町*-* 佐々木孝 です。

 なお他の本や郵便振替の番号などは右の「呑空庵刊私家本のご案内」からお入りください。
 あれっ、今晩は何を言い出したものやら。でも壊れてはいませんよ、ご安心ください。ではまた。

★★ 褒められたことは忘れないもので、「葉桜」はスペイン研究の大先輩H先生に褒められたことを思い出しました。この歳で言うのは変ですが、どうも私は褒められて成長するタイプのようです。ずっと褒め続けた美子が沈黙を守ったままなので、ガス欠状態でした。万が一感心するような文章に出会いましたら、元歌の大作家を褒めるなど間接的にではなく直接的に(?)褒めてください。よろしく。

https://monodialogos.com/archives/18774
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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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葉桜(その二) への3件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     旧約聖書は三千数百年、新約聖書は二千年、いろんな国で読み継がれて来ました。長い風雪に耐えても色褪せない輝きを放っています。それは人生の真実が示唆されているから普遍性があるんだと思います。先生の『モノディアロゴス』には至る所に人間の真実が隠されていると私は思います。ですから繰り返し読むことで新たな発見があり、そこから行間に隠されている真実を見つける楽しさもあります。根は楽天的な先生の前向きな姿勢を、その真実から読み取り自分の人生にプラスに出来ればと思っています。建前で生活している現代人には心の糧になる稀有な本だと思います。

  2. 高川 勝 のコメント:

    「大放出!」  買った!
    読んでもらいたい友人がいて、会う(飲む)たびに「モノディアロゴス」を話題に持ち出すのですが、うまく伝えきれず、‘エーィ、もどかしい。かくなるうえは現物をにモノを言わせてやろう’と思っていたところでした。
    希望者殺到という状況ではないかと思いますので、控えめ(?)に2冊お願いできましたら…。
    今、緊急の用事が入って「正規ルート」で求めるいとまがありませんので、取りあえずリザーブのお願いまで。送料のみで、というのも釈然としませんので、この点については改めて。
    このコメント欄は、書籍注文のためにあるのではないと思いますので、不適切でしたら削除してくださいますよう。

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    高川さん、言った以上は15冊まで340円でお譲りしますよ。実は今のところ他に一冊注文があるだけでしたから、早い者勝ちです。ただ問題は、15冊を越えるなんて「想定外」のことが起こった場合…どうしましょう? そんな嬉しい誤算などありませんように! いやありますように!
     まるで売れないスーパー店長の、年末出血サービスのときみたいな気持ちになってきました。でもこれだけはご理解ください。私めの唯一の願いは、たとえ足が出てもいい、いやついでに少しぐらいなら腹が出てもいい、できるだけたくさんの人に、私の生きているあいだ、いや死んでからでもいい、私のメッセージが届くことです。
     今朝の中国からのメールで、中国語版の話がさらにもう一歩前進したことを知りました。ありがたいことです。こうなれば半歩先に行っていたスペイン語版とどちらが先になるか、おっと私が煽っちゃーいけません。

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