どんな豪華なコンサート・ホールでの演奏会よりも、心に強く迫る感動的な演奏会だった。演奏家たちの力演ももちろんだが、会場そのものがその演奏家たちの演奏をあるときは暖かく包み込み、またある時はそれを力強く建物全体を共鳴版にして広げたのである。徐々に暗くなっていく窓外の夕景色とは対照的に温かさを増す室内の光の中、聴衆の座る会場自体は周囲を書棚に囲まれてそれほど広い場所ではないが、しかし頭上は高い吹き抜け構造になっており、二階からも、あるいは一階のあらゆる場所からも妙なる音の調べが聞こえる構造になっている。こんな田舎町にこんな理想的な図書館が、しかも昨晩のように一気に演奏会場にも変わりうる図書館があることを誇りに思っていい。
昨年九月のチャリティー・コンサートに感動したリピーターも交じっていたからだろうか、実にアットホームな雰囲気でプログラムは進行していった。何よりも川口さん菅さんが楽しそうに演奏している姿に心が揺さぶられた。個人的なことを言うなら、第一部後半に演奏されたアルビノーニの「アダージョ」の調べがなぜか胸の内にぴたり「はまった」感じとなり、不覚にも涙が溢れてきた。音楽の力は凄い、もう理屈ぬきである。
15分の休憩のあと第二部が始まる。二番目にある菅さん自身の「小品」という演目を見て、もしかして、と期待するところがあった。つまり「嗚呼、八木沢峠」が生で聞けるのでは、と思ったのだ。ところが予想をはるかに超えて、さらに他の三曲までも演奏されたのである。すなわち今年の正月に亡くなったばっぱさんを主題にした「5人を照らすばっぱさんの星」、美子との散歩を主題にした「夜の森公園」、さらに何と愛を主題にした「可憐な花」までもが披露されたのだ。ここまで来ると、誇らしいとうよりただひたすら勿体無い、かたじけないという気持ちの方が強くなり、頭(こうべ)を垂れて畏まって聴いた。
演奏会がめでたく終わったとき、会場に来ていた岩橋君の奥さん、つまり帰省以来、西内君と私と仲好し同級生トリオを組んできた岩橋君(彼は留守番)の奥さんが近づいてきて、感に堪えたように、「佐々木さん、見えてきましたよストーリーが」と嬉しいことをおっしゃった。ばっぱさんから愛まで、佐々木家の物語が見えましたよ、という意味である。
誤解がないように大急ぎで付け加えなければならないが、これはなにも佐々木家が特別な家族という意味でもないし、ストーリーが見えてくるのに「主題歌」が必要だということでもない。たまたま私たちには菅さんという「作曲家」の友人がいて、実に恵まれた形で音による一家の物語を紡いでもらったのである。確かに菅さんは私の「モノディアロゴス」という長年のあいだ紡がれた言葉によるストーリーに曲想を得て作曲したということだが、でも家族あるいは個人の「物語」が形を成すために究極のところ「言葉」さえ要らないのかも知れない。つまり或る「ひと」の、あるいは「家族」なり「グループ」の、「生き方」そのものが或る輪郭を持つならば、人はそこに「ストーリー」を読み取るはずだからだ。
以前ウナムーノさんの “vivir es novelar”、つまり「生きることは己の小説を書くこと」という言葉を紹介させてもらったが、私の言いたいこともその言葉に尽きる。といって、小説となるためにはなにも大仰なパーフォーマンスも事件も必要ではない。ただあるがまま静かに過ぎてゆく「日常」こそが小説の本体なのだから。もちろん「物語」が浮き出てくるには、だれかがそれを「紡ぐ」ことが必要である。
それは「人」についてだけではなく「町」についても同様であろう。つまり南相馬が本当の意味で再生を果たすには、「南相馬再生(ルネッサンス)物語」が不可欠だということだ。演奏会のあと、その日の主役の演奏家お二人、総合プロデューサー(?)の西内君、それに安斎館長、早川副館長、さらには中央図書館設立に当たって行政側の強力な推進役だった渡辺前市長、図書館活動を市民サイドから支える「としょかんのTOMOみなみそうま」の鎌田さん森岡さんを前に熱く語らせてもらったことも、そのルネッサンス論だった。つまり中央図書館が南相馬再生物語の実質的な重要拠点たりうることの…あゝそこまで具体的に語ったわけではないか。でもまとめて言うとそんなことだった。美子を頴美たちにまかせて久しぶりに美味しい日本酒を聞こし召したため、話にまとまりがなくなってはいたが…
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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