寒中お見舞い

郵便局で、年賀はがきにするか普通はがきにするかで迷ったが、結局、寒中見舞いだからという理由で普通はがきを購入した。そして受け取った年賀のお便りへの返事として以下の文章を印字した。せっかくの機会だからと欲ばったため9ポの字でぎっちり押し込んだ形になった。私のような老眼の人には読みにくいだろうが、我慢していただく。
 ついでと言ったら大変失礼だが、ネットで読んでくださっている皆様にも寒中お見舞いとして、同じ文章をコピーさせていただきます。

 寒中お見舞い申し上げます。
 早々と年賀のお便りありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。昨年正月二日に十和田で亡くなった母・千代も四日、十和田から来てくれた兄神父の司式で無事公園墓地に納骨を済ませました。忌中のお知らせをしなかったのは辛気臭いこと(?)を嫌う亡き母の遺志を考えてのことで他意はございませんでした。どうぞお許しください。
 さて原発再稼動・憲法改悪・強い日本志向などたくさんの危険な兆しを抱えたままの越年でしたが、よほど気を引き締めないと、と覚悟を新たにしています。そんな中、拙著『原発禍を生きる』(論創社刊)が昨秋、李建華・楊晶ご夫妻の訳で中国語版(香港三聯書店刊)が、また今年も二周年目あたりに邢鎭義(ヒョン・ジニ)さんの訳で朝鮮語版が、そしてハビエル・デ・エステバンさんの訳でスペイン語版が出版される予定で、世界の脱原発のために少しは貢献できるのではと喜んでおります。
 妻・美子は一年前から車椅子の生活になってしまいましたが、幸い症状は落着いており、息子夫婦と四歳の孫娘の一家五人、おかげさまで元気に暮らしております。「モノディアロゴス」も十一年目、二日おきぐらいのペースで書き続けておりますのでお時間のあるときにでも覗いてみてください。
 本日は右ご挨拶と近況ご報告まで。

二〇一三年新春

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください