お茶を濁す

永遠に来ない明日(マニャーナ)なんてことを書いたのが、逆にプレッシャーになって、本当に来た明日、つまり今日、何か報告しなければとの強迫観念になって、こうしてパソコンに向かっている。
 といって、タボアーダさんの論文を読んではみたが特に目新しいことは書いてなかった。要はA. マチャードが世に送り出した異名者フアン・デ・マイレーナが付和雷同の風土の中でいかに自由な発想、独自の思想を展開したか、そしてその彼にどれだけの作家・思索家が鼓舞されてきたかを縷々述べているわけだ。影響を受けた著述家の名がいくつか出てきたが、現代スペインの知的状況を追うことをやめてだいぶ時間が経っている私には、それこそだれがだれやら分かりません。
 それはともかく、マイレーナ自身が言ったのか、それともタボアーダさんがそう解釈したのか不明だが、次のような言葉には深く首肯した。「もったいぶった精神や押し付けがましい感情表現(リリシズム)を軽蔑すること。つまり散文はしゃちこばって書かれるべきではない。そこに良かれ悪しかれユーモアが欠けると滑稽極まりない時節外れの雄弁に陥ってしまう」。
 ところでマイレーナを礼賛したバスケス・モンタルバンは、2003年、オーストラリアへの講演旅行の帰途、バンコック空港で心臓発作のため亡くなったそうで、この優れた作家の突然の死に対して、スペイン社会が、とりわけ報道各社が冷淡な反応しか見せなかったことに、タボアーダさん、大いに怒っている。
 そうかバスケス・モンタルバンさん亡くなられたのか、残念。急いでアマゾンを検索してみると、『タトゥー』という小説と『楽園を求めた男(原題は「南の海」)』、そしてエッセイ集『自由な都市の自由な言葉』が直ぐ手に入る(値段も安い)と出ていた。袖すり合うも他生の縁という言葉もあるが、この際死者の冥福を祈ってそのエッセイ集でも注文しようか。
 以上で「アスタ・マニャーナ」の約束を…果たしたことにはならないか? これまた失礼いたしました。
 いやいやそんなことより、肝心のアントニオ・マチャード紹介もまだまともにやってこなかったわけで、この方は気安く「アスタ・マニャーナ」などと言わずに、そのうち(?)じっくりさせていただきます。それでは今日はこの辺で。あっそれから、おかげさまで美子はその後、元気にしてます、ご心配をおかけしました。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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